2008年8月30日土曜日

ブログをはてなに一本化します

これまで、Google Bloggerとはてなでブログを書いていましたが、このたび、はてなに一本化することにします。
Google Bloggerはトラックバックが送信できない仕様なので、いろいろ意見を書いても読んで欲しい人に読んでもらえないということと、日本国内でのユーザが少なくてなんか寂しいというのが主な原因です。

これまではてなはシステム開発に関することがメインでしたが、これからはBloggerに書いていた内容なども書いていくので、今後ともどうぞよろしくお願いします。

↓↓ 開発日記 Technolog-ist (はてな版) ↓↓
http://d.hatena.ne.jp/a_suenami/

※フィード登録してくれていた方は下記URLへの変更をお願いします。
http://d.hatena.ne.jp/a_suenami/rss

2008年8月27日水曜日

プログラミング能力をつけるための高速道路の話 その2

昨日の続き。
前回の「(1) “サイエンスとしてプログラミング”と“ビジネスとしてプログラミング”の乖離」より、こっちのほうが数としては多い。

(2) PGは冷遇、PMは優遇という葛藤
前回は、コンピュータサイエンスをしっかり学んだ学生が現場で日々遂行される業務に興味を持てず、プログラマとしての道をあきらめる例を示した。しかし、そうではなく、単なるコーディングでもテストでもデバッグでも、とにかくプログラムに触れる仕事がしたいという人も相当数いる。アカデミックな意味でITを学ばずにプログラマになる人(田村さんの言葉を借りれば、まさに“文系プログラマ”)はほとんどがそうではないだろうか。
そんな人がプログラマをあきらめる理由は、プログラマの給与・待遇の低さと社会的イメージの悪さである。絶対数としては、おそらく「情報理論を生かせる職を見つけられなかった」人よりもこちらのほうが多い。

何故そんなイメージが根付いてしまっているのか、ブログのコメントやはてブコメントなども参考にしながら考察してみる。
コメントの中にもあるが、やはり気になるのは「プログラマを扱える経営者が少ない」「プログラマでマネージメントをやりたがる人が少ない」そして「プログラマの能力はピンキリである」ということ。
企業経営において情報システムの重要性が大きくなった昨今でも、多くの日本の経営者にとってはその部分がブラックボックスになっていることが多く、どれだけの投資でどれだけの価値を回収できるのかを判断することができない。その上、マネージメントをやりたがるプログラマが少ないので、IT投資(もちろん、プログラマの人件費を含む)の判断をできる人材が育たず、正当にプログラマが評価されない。
だいたいプログラマやSEの単価は1人月(1人が1ヶ月働いた場合)で80万~120万円程度である。低価格をウリにしている学生ベンチャーとかでもせいぜい50万円くらいだろう。それにも関わらず、プログラマの能力による生産性の格差というのは非常に大きい。人月単価の差は学生プログラマと大手ソフトウェアベンダー社員でも2倍ちょっとだが、生産性はおそらく10倍以上違う。これが現状。
給料を払う経営者側から見れば、超スーパープログラマでも雑魚プログラマでも単価120万円であり、大きな違いはない。スーパープログラマを評価できるマネージャもいないし、評価の仕組みもない。こういう環境下では、どんなにプログラミングが好きな人であっても、プロジェクトマネージメント能力を身につけて“コードを書く”という行為から逃げたがるのも無理はない気がする。

よく言われる“プログラマ35歳定年説”って、体力的な衰えとかではなく、結局こういう企業体質や社会体質によるところが大きいんだろうな。
 

2008年8月26日火曜日

プログラミング能力をつけるための高速道路の話

モバキッズの田村取締役が非常に興味深い日記を書いているので、紹介もかねて僕なりの意見を書いてみる。
Google Bloggerはトラックバックを送信できないという謎の仕様、、、黙ってたら田村さんに読んでもらえないので、コメント欄にURL貼っつけときます。>田村さん

プログラミング能力をつけるための高速道路を造りたいという話

まず、このエントリに対して僕ははてなブックマークで以下のようなコメントをした。

同意。が、日本ではプログラマの地位が相変わらず低いのも事実。高速道路の先(マネージメント階級とはまったく別のエンジニアとしてのキャリア)も用意できたらいいなー。

高速道路はすでにできつつあると思う。完成していると思っている人もいるだろう。その高速道路が機能していない(ように見える)のは、そこを走っている人が他の学習分野に比べて相対的に少ないからではないか。給与や待遇、社会的地位の低さ、3Kに代表されるイメージの悪さのため、走りたいと思う人が少ないのだ。

だから、僕の意見としては、むしろ高速道路の先をどう魅力的に見せるかだと思う。
高速道路の先は大渋滞かも知れないが、その先にモチベーションをかきたてられる魅力的な何かがあれば高く険しい道でも、けものみちでも走れると思う。大渋滞の先に何も魅力的なものがないからこそ、高速道路にものる気にならない。

なぜ、「高速道路にのる気にならない」のかについては、大きく以下の2点があると思う。あえて、文系プログラマを自称する田村さんの観点でなく、高専出身である僕の経験から考察してみた。

(1) “サイエンスとしてプログラミング”と“ビジネスとしてプログラミング”の乖離
ビジネスの醍醐味でも書いたが、高専や大学で学ぶコンピュータサイエンスの一環としてのプログラミングとビジネスとして行うプログラミングはまったく違う。
コンピュータサイエンスで必ず学ぶバブルソートやクイックソート、二分探索法、スタックやキュー、ヒープなどは実践の場ではまず間違いなくライブラリが用意されていて自分で実装することはないし、ビジネスの場で必要なデバッグの方法やコーディング規約の作成ノウハウ、クラッキング手法とそれに対抗するためのセキュリティ知識などは大学では詳しくは教わらない。
このような両者間のギャップのせいで「プログラマはダメだ、おもしろくない」と感じてその道を選択肢から外す人を数多く見てきた。サイエンスとビジネス、どちらに魅力を感じるかは人によると思うので、どちらかを強くアピールするべきだという話ではない。「大学でもっと実践的なプログラミング手法を教えればプログラマ人口は増えるか?」という問に関する答えは明らかにNOである。

そもそも、世の中で一般的に理系に分類されるコンピュータサイエンス(学校によって名称は違うと思うが、情報工学とか電子情報学など)を専攻しているような学生は、ある程度以上の数学の素養と、あらゆる事象を論理的に構造化することへの興味を持っているはずである。そういう学生に対して、体系化された情報理論や各種のアルゴリズムなどを教えることは、決して非合理なことではなく、モチベーションを一定に保てるという意味では非常にいいことだと思う。問題はそういう学生が卒業後にその知識を生かせるような職が圧倒的に少ない、ということである。
いや、絶対数が少ないというより、他の仕事内容に埋もれてわかりづらいというほうが正確だろうか。大学で学ぶような理論的な部分は、大抵の場合、その製品やサービスのコア部分であることが多く、簡単に外部の人間が知れるものではない。比較的、情報として入ってきやすいのは、そのコア部分をとりまく日々の保守・運用や膨大な数のデバッグ、コスト算定、プロジェクト管理などである。

これが、1つ目の高速道路にのらない理由。こういうコンピュータサイエンスの理論は好きだが、ビジネスとしてプログラミングをすることをあきらめる人というのは、大学の教授になったり、まったく関係ない職種に転職したりする。


ここまで書いて疲れてしまった。長くなってしまったし、続きは次回に。

2008年8月24日日曜日

今年もあらたな“夏のドラマ”が生まれる

先日、KINGのミーティングにお邪魔してきた。今年のスタッフにとっては最後の全体ミーティング。
そして、今日、後輩たちが多くの時間を費やし、たくさんの想いを詰め込んだコンテストKING2008が開幕した。

パラダイムシフトでも言及した通り、僕がKINGにおいて掲げた目標は、結構めずらしい価値観に基づいている(らしい)し、自分の世代だけで実現できるものではない。
そういう意味で、直近の後輩たちが主催するKING2008への期待はかなり大きい。

僕たちが渡したバトンを今年どういう受け取り方をし、どういう風に来年へ渡すのか、現時点では皆目見当もつかないが、僕らを含む過去のスタッフたちが築いた歴史と伝統をさらに光り輝かせるような、そんなコンテストにして欲しい

今年の夏も熱くなりそうだ
いったいどんなドラマが生まれるのか、楽しみである

2008年8月20日水曜日

バーベキュー&温泉

先日の日曜、KINGの仲間と一緒にバーベキューをした
あいにくの天気だったけど、僕自身はKING仲間とバーベキューするのははじめてだったから、なかなか新鮮だった。それに、涼しかったしね。笑

みんな、思い思いに近況を話す。
就活のこと、インターンのこと、今の生活、KINGの思い出、現役のKING、、、その他もろもろ。
“多様性”や“コミュニティ”をコンセプトに掲げただけあって、僕らの代のメンバーは能力も性格も価値観もバラバラ。「今、何やってるの?最近どう?」といういたって普通の話でも、回答はみんなそれぞれ違う。

あれから、もう一年経つんだよね、来週からはKING2008が始まるよ、
なんて、感慨深い気持ちになってみたり。

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バーベキューのあとは、みんなで近くの大江戸温泉に向かう。

男3人で、サウナと水風呂の交代浴。
今まで10分が限界だと思っていたサウナだけど、水風呂はいった後だと意外にいけるもんだと知った。

しかし、22℃の水風呂に対して、仲間の一人が終始、
「いやー、あの水風呂は温度高すぎやわー、18℃のに入ってみぃー。」
と言っていたのは、今思い出しても笑える。

風呂からあがって、射的をしたり、かき氷食べたり。
仲間の一人が射的でべジータの人形ゲットしたり、「桶盛り氷」というネタ以外の価値は一切ない商品を2人で食べたり、相変わらず話のネタには事欠かないKINGのメンバーだった。

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最近、休みらしい休みはなかったから、いい休養になったかな。
次に温泉行ったときは、水風呂が18℃でありますように。

2008年8月19日火曜日

起業家仲間との会食

もう一週間くらい前の話になるが、株式会社モバキッズの取締役2名と一緒にご飯を食べに行く機会があった。

モバキッズ西嶋社長のブログで紹介されています。
http://d.hatena.ne.jp/yukanon/20080815/1218753640
※西嶋さんが日記をはてブに移行してからRSS登録を怠っていたので、気づかなかった。。

やはり、僕自身が技術者的な思考なので、システム開発を本業とする人と会うというのはいい気分転換になる。
田村取締役ともプロジェクトマネージメントについて情報交換するものの、結局「難しいですよねー」という結論。
やっぱり大企業での勤務経験がない学生ベンチャーだと、いろいろと模索しながらノウハウを蓄積していくしかないんだと実感。そういう意味で、今後ともこういう機会は大切していきたい。

話変わって、西嶋社長のブログでも紹介されているist対モバキッズのクイズ対決について。
このゲーム、プレイヤーが自らジャンルを選択できるのだけど、「スポーツ」とか「エンターテイメント」とかについてははっきりいって僕は戦力外(笑)
このままではコンシューマと価値観の乖離が生じるのも時間の問題だと思い知るいい機会になった…

それに、慎重で臆病な性格なので、早押しはダメ。このゲーム、意外と自分の性格と知識の効果測定をするのに適しているんじゃないのか…?

「ゲームでは負けたけどリアルでは負けないから!」
とさわやか笑顔でその場を後にしたが
本心は悔しくてたまらなかったので、特訓を積み
しばらくしてから再度戦いを申し出るつもりである。

ということなので、こちらも返り討ちにするために特訓しよう。
まずは、早押しボタンを押せるように、アクティブな性格への矯正からだ。笑

2008年8月4日月曜日

言葉の師

最近、周囲が言語崩壊してる。
夕食の際、弊社代表の飯田と話していたときに出てきた話題。

それは例えば、2ch語の日常化だったり、意味のわからない略語だったり。
特定のコミュニティ内でのみ通じる単語や、必要のない英語化もある。

僕自身は、“尊敬”という言葉について考えてみた文系と理系のようなエントリを書いていることからもわかるように、言葉というものにこだわりがあるし、自分の口から発せられる以上はそれなりの責任とプライドを持っている。
そんな僕なので、言語崩壊していることを忌々しい事態だとは思うものの、自分自身がそれに影響を受けることはないだろうと思っている。

なぜだろう、と考えてみた。
結論は簡単。これまで周りに、言葉を大切にする人が多かったのだ。

高専時代に付き合っていた彼女は、哲学を志していて、近代哲学(デカルトとかカントとかフッサールとかが活躍した頃)についてとても深く勉強していた。特に、デカルトの“我思う、ゆえに我あり”という言葉をとても愛していた(ように感じた)。

高専時代のとある友達は、日本を愛する人で、意味のない英語化をとても嫌っていた。横文字での会話はなんとなくかっこよく感じるし、さも自分が外資系企業で働いているかのような満足感にひたれるが、ただそれだけ。日本人とコミュニケーションするのなら、日本語のほうがわかりやすいに決まっているというのが彼の意見だったのだろう。
それに、彼は大分県の中でもかなり小規模な村の出身だが、地元なまりを恥じたりせず、誇りを持っているようにさえ感じた。上京して1週間もたたないうちに標準語で話すようになった僕とは対極にあるこだわりの持ち主だ。

19歳の頃に参加したインターンシップのメンバーも言葉を大切にする人が多かった。“ウェスト飲み”と称して、西日本のインターン参加者が集結する企画がいくどとなく開催されたが、その夜はたいてい夜を徹しての熱い議論だった。進路、人生、恋愛など内容は多岐にわたるが、共通していることはそこでやりとりされる言葉の重さ。ウェスト飲みが僕を成長させてくれたことは間違いないと思う。

東京に来てから出会った友人にも言葉を大切にする人がいる。その友達とはじめて話したときに言っていたこと、今でも覚えている。
「“おもう”っていう言葉も、漢字で書くと“思う”と“想う”があって意味が違うんだよね。わざわざ違う漢字が存在してるってことは、それには何か意味があるような気がするんだよ。今の僕にはわからないけどね。」

彼らは僕にとって、まさに“言葉の師”だ。
僕自身は、哲学を志しているわけではないし、大分弁に誇りを持っているわけでもないし、横文字ワードも普通に使うけど、こういう人たちと一緒にいる時間が長かったおかげで、僕なりの言葉へのこだわりというのが確立できたように思う。

よい環境にめぐまれたものだ。

2008年7月26日土曜日

コンピューター?プリンター?

マイクロソフトが製品の表記ルールを変更するらしい。

「コンピュータ」→「コンピューター」に MSが表記ルール変更

より一般的でコンシューマにはわかりやすくなったのだろうけど、
僕からするとどうも違和感があるといわざるを得ない

高専時代にお世話になった某先生のように
「こんなところで2バイトも無駄にするんじゃない!」
と反論したいけど、
高級言語に染まりまくっている今の僕では説得力のある反論はできない。

要は染み付いたドキュメンテーションの癖を修正するのが面倒なんですよね。

追記:
「ブラウザー」っておかしくない?一番違和感ある…
しかも「パラメーター」とかはコーディングの際のコメントにも影響しそうだな…

2008年7月19日土曜日

感情なんて一時的なもの

人間の感情なんて本当に一時的なものだとつくづく思う
一時の気持ちの動きで意思決定しちゃいけないとつくづく思う

そういう意味で
十分な情報量がないと発言できないという僕の性格は好都合かも

2008年7月16日水曜日

知識ゼロ?

知人のブログで紹介されていたエントリ。
ブログの内容自体はプログラマやSEでない人にはわからないだろう。
てか、僕も業務系システムはさっぱりなので、ぶっちゃけよくわからない。

銀行の言語事情

ただ、内容はわからずともコメント欄に注目してもらいたい。

はじめまして、こんばんわ。
今現在就活をしています。
例えばですけど、文系で知識ゼロの私が
ttp://www.future.co.jp/ 
こういった企業に入って、プロジェクトに関わって仕事を
進めていくことは無謀なのでしょうか?
こと採用市場では文系の人で知識なくても、こういった企業に
入社することは可能ですが、その道を究めたりするには数学が
必要だから一定レベルまでにしか至らないだとか、
そういったことはありますでしょうか?

この質問に対する回答の一部を抜粋。

でも、ここ最近これだけインターネットで色々できる時代に「知識ゼロ」と胸を張ってちゃいかんとも思います。
僕も文系出身ですが、知識が0でなかったことが大きなアドバンテージでしたよ。
その会社がどうして例に挙がったかはわかりませんが、コンサル系にいきなり入ろうというのは似非コンサル目指しているわけでなければ止めて置いた方が良いと思います。僕らのためにも。ちゃんと教育が整っているならいいかも知れませんね。

うん、非常に同意してしまった。まったくもってその通り。

> でも、ここ最近これだけインターネットで色々できる時代に「知識ゼロ」と胸を張ってちゃいかんとも思います。

「やる気だけは誰にも負けません」という言葉を発する人はおそらく今でも多いのだろう。でも、これは、やる気だけではどうしようもない、学べる環境がない、だから学べる環境を下さい、という意味に他ならない。
ここで指摘されているように、現在ではよほどクローズドな分野における知識でない限りはインターネット経由である程度手にはいる。それこそ、IT分野で手にはいらない情報なんて軍事関連の通信技術くらいなのではないだろうか?「やる気があるなら結果で示せ」と言わんばかりに情報があふれている。

僕のまわりを見渡す限り、こういう意識をきちんと持っている人はまだ少ない。与えられた情報をたくみに使い、到達するべき既知の結果を目指して、ただただその間のプロセスをつくりあげる。

日本の教育制度に問題があると言えなくもないが、それにしても危機感を覚えざるを得ない。



ちなみにこのエントリを紹介していた知人のブログはこちら
なかなか鋭いこと言ってるので、読んでみて下さい。

2008年7月13日日曜日

暑い

気付けば、もう7月も半ば
暦の上では、立夏をとうに過ぎ、もうそろそろ大暑を迎える

最近、ミクシイやtwitterで
「今日は暑すぎる」
「外に出たくない」
という旨の日記やつぶやきが多かったので、もうそんな時期かと感じてはいたが、先ほど、ついに肌でそれを感じてしまった

#大げさではなく、暑さを感じるような時間帯に、暑さを感じるほどの長時間外に出るのは本当に稀な僕です…

オフィスワークばかりだと世の中に取り残されそうです…泣

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「できないこと」の重要性

システムの開発でも、会社の経営でも、学生団体の運営でも
はたまた一個人のキャリア形成や就職活動においても
「できないこと」を定義することは極めて重要だとつくづく感じる

ヒトはよく、何かの意思決定をするとき
「自分(たち)は何をするべきか・やりたいか」を考える
その結果、あれもやりたい・これもやるべきだ、という混沌に陥って
結局、何がやりたいのかわからなくことは多々ある

だからこそ、「できないこと」「やりたくないこと」をきちんと定義する

システム開発では、“実装しない”機能はあらかじめ排除するべきだし
会社の経営では、“アウトソーシングする”事業やタスク、“参入しない”市場を明確にするべきである
企業よりもリソースが限られている学生団体ならなおのことそうだ
就職活動でも、“やりたくない”仕事をあらかじめ考えておく

これは「できること」を考えるよりはるかに難しい
ある部分を棄てて、狭い分野に特化していくということは
リスクも高くなるし、そう簡単に結論を出せることではない

経験上、頭のいい人ほど、こういう意思決定は苦手なようで
拡張性、多角化、汎用性、ゼネラリスト…など
耳障りのいいフレーズにだまされる

こういう思考は、世の中のことを何も知らなかった小学校や中学校のころのほうができていたな…
もっと素直に「○○はやりたくない」と言えるようになりたいものだ

2008年7月12日土曜日

戦略と業務

思考 よりも 作業
戦略最適化 よりも 業務効率化
コンセプトメイキング よりも コンテンツメイキング
高尚なビジョン よりも 目先のオペレーション

のほうに嗜好が偏っている僕。


だけど、ことシステム開発においては
コーディングやデバッグのフェーズよりも
設計フェーズのほうが楽しい。

不思議だ、、、

追記:
自己レスです。笑
“コーディング”という名の業務を効率化するという意味で、“設計”は業務効率化の一環だということに気付いた。確かに「きれいなコードを書く」ことが目的化する場合もあるけど、それは大学のレポートだったり、論文の執筆など「コード自体がさらされ、評価の対象となる」場合が多く、「コードが実行された結果与えられるサービスが評価の対象となる」ビジネスの場では極めて稀だったりする。
システム開発における“戦略”や“ビジョン”に該当するのは、(マーケティング的な意味での)画面デザインやユーザビリティの設計であって、確かにDBのテーブル設計やクラス図作成に比べるとおもしろくない。笑

2008年7月11日金曜日

コミュニケーションの多様化

学問的な意味でも、社会的な意味でも
学力や賃金の格差、顧客ニーズの多様化などについて
論じられることは多々あるが、
“コミュニケーション”の多様化について触れられることは
思いのほか、少ない

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昨日、LUNARRを日本で展開するためのサポートを
している方とお話をしてきた

LUNARRとは、ドキュメンテーションとコミュニケーションを接近させる
コラボレーションツールであり、新しい情報共有ツールである

詳しくはこちら
会社概要
LUNARR - Wikipedia

僕は一ユーザとして、追加して欲しい機能や導入する際の懸念事項などを
わりと好き勝手にしゃべらしてもらったわけだけど、
何よりも感心させられたのは、LUNARRが“コミュニケーション”というものをゼロから考え、定義しようとしていることである

Web2.0という言葉ももはや使い古されてしまったけど、本当にここ数年で
驚くほどコミュニケーションの形は変わった
そして同時に、その先端に乗っかった人と乗り遅れた人の格差も広がりつつある

ブログ、SNS、RSSリーダ、モバイル、メーリングリスト、グループウェア、ポータルサイト、ソーシャルブックマーク、twitter…
これだけツールやメディアが多様化し、人々の価値観やリテラシの格差も拡大している中で今後市場に出てくるコミュニケーションツールがどういうスタンスをとるのか興味深い

“コミュニケーション格差”
実はこれは学力格差や賃金格差よりも重要な問題なのではないか

2008年7月9日水曜日

多様性のあるコミュニティ

特定の分野における専門性や価値観だけでなく
様々なアイデンティティをもった人たちが一緒になることで
高い成果をあげることができる

昨年、僕たちが企画・運営したKING2007の活動理念であり、
株式会社istの企業理念でもある

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日曜日、中学時代の友人2人と久しぶりに会い、一緒に食事をした
1人は東大のロースクールの学生で、先日のエントリにある中学時代の“あいつ”
もう1人は九州工業大学で都市計画や景観デザインを学んでいる学部4年生

法律と土木とIT
まったくもってリンクしそうにない3つだが、話をしてみるとなかなかおもしろい発見がある
同じ内容の話をしてもそれぞれ見解が違うし、異なる分野同士がどういうところでリンクしているのかということが、こういう場であらためてわかったりする

まさに世の中の縮図

大学に進学してしまうと同じ学部学科の友人とつきあうことが多くなる
サークルや学生団体に所属したとしても、それはある目的のためにコミュニティを形成しているのだから、本質的なビジョン・価値観というのは似ているのが普通である

でも、中学や高校の友人は、そういうのが一切ない、多様なコミュニティだ
このつながりを大事にしよう

2008年7月6日日曜日

怪物親、理系離れ

これはひどい。

数学の定期試験で別解がバツにされるようになった理由


なんでも、数学の別解を認めにゃーという恐るべきファシズムの根は、中学の馬鹿親にあるようなのですにゃ。
「別解を認めると、塾にいっている子が有利だから認めるな」
こんなカスのような言い分が、今の疲弊しきった教育現場で通っちゃったらしい。

こういうことをするから、“理系離れ”が進むんだよ…
しかも、タチの悪いことに、この例ではおそらく学生本人は
自分が“理系離れ”に陥っていることに気付かない

何故か

僕の経験上、数学や物理、化学、それから金融などもそうだが
こういった学問の魅力は、自然界に当然のように存在している事象を数字を使って綺麗に整理できることにある
一度整理できた事象は、次回からどのような切り口で観察しても、一般性を損なうことはない
数式自体は整理した結果出てきたもので、それが目的ではない
“公式”とは、「同じタイプの問題を、より短時間で解決するために必要なもの」でしかない

たとえば、台形の面積を求める問題があるとする
大体、考えつく解法は以下の2パターンだろう

(1) 【(上底+下底)×高さ÷2】という公式を暗記し、そのまま適用する
(2) 対角線を1本引き、2つの三角形の面積を足し合わせる

小学校2、3年の算数でつまづいたという人でない限り、この2つの解法が結果的には同じことをやっているということはわかってくれるだろう
そう、同じだということに気付くことが重要だし、それが数学のおもしろさなのだ

公式を暗記しているだけの人は(1)しかアプローチ方法がないし、
三角形の面積の公式しか知らない人は(2)しかアプローチ方法がない

でも、(1)と(2)が同じだと気付いた人は
問題によってアプローチ方法を選ぶことができる

僕は、数学を苦手と思ったことはないが、
公式を覚えるのは苦手だった
たいていの場合、公式を使わず、
手順をおって解答することが多かった
※さすがに台形の公式くらいは覚えられたがww

しかし、“別解”を禁止されたら、この魅力を感じることはできない
「公式を覚えること」が数学の勉強だと思い込み、それが数学の本質だと感じるようになる
そして、本人は数学が得意と感じるだろうが、無意識的に理系離れが進展するのではないか

怪物親(モンスターペアレント)の横暴は、メディアでもとりあげられているが、これはあまりにもひどすぎる
工学系の学科で数学を学び続けている僕らへの侮辱だとさえ思う

2008年7月5日土曜日

多角化企業

知人に将来の夢とかビジョンとか聞かれると
職業とか業界とかにはあまり触れず
僕はよく

最強のゼネラリスト とか
No.2のNo.1 とか
“0から1を創る”人ではなく、“1を10に伸ばす”人 とか
リーダではなくマネージャ とか
安定感のある参謀 とか

そういう返答をよくする

これはこれで本当だし、嘘をついているつもりはないけど
先日、ふと「本当にそうなのか?」と思うようになった
ただのトラウマなのではないか、と。

僕が小学生のころ、同じ学年に成績のいいコがいた
小学校で勉強することなんて簡単だし、僕だってテストの結果はいつもよかったけど、そのコにだけは何か劣等感のようなものを感じていた。

そのコは私立中学に進学したため、中学は別々になったのだけど
中学にはまた別にめちゃくちゃ成績のいいコがいて、
このコにはかなわないなー、と思い知らされた。

かたや地元の進学校、かたや工業系の高等専門学校に進学し、道を違えたものの、高専でも「サイエンスの世界ではこいつにはかなわない」と実感するような人に出会ってしまった

小学校から高専低学年までは、ゴールキーパーとしてサッカー部に所属していたが、1人しかピッチにたてないポジションであるだけに競争も熾烈で、中高ではついにレギュラーを獲得することはなかった。
足業がまったくダメだったわけでもないので、中学時代はフィールドプレーヤーとして試合に出たが、それでも一番うまかったわけでもないので、いわゆる“司令塔”としてプレイすることはなかった。

私立中学に進学しなかったのは(家庭の事情もあるが)
「あいつと戦うの大変だろうな。」
と思ったからだし

進学高校でなく、高専を選んだのも、
「あんなコと一緒に大学受験受けるのか、勝てないな。大学には行かず就職しよう。」
と思ったからだし、

大学に編入学して、システム創成学科を選んだのも
「サイエンスの世界にはあんな奴がごろごろいるのか。じゃあ、自分は研究者でなく、もっとプラクティカルな世界でがんばろう。」
と思ったからである。

リンクアンドモチベーションの小笹社長が提唱する自分株式会社(アイカンパニー)という考え方に基づくと、
あらゆる市場に参入し、競合と真っ向から戦わず、差別化を図りながら市場を転々とした結果できた超多角化企業
なのかな、という印象を受ける。

こういうところに価値観の根源ってあるんだよね。
自分の過去と価値観の形成を結びつけるのって案外おもしろい。

追記:
タイトルにつられた方、ごめんなさいww

2008年7月4日金曜日

信念が強い = 頑固?

お久しぶりです。末並です。

定義が曖昧でどうとでも解釈できるような言葉を使うことを極端に嫌う僕が、あえて「信念」という言葉を表題に使ってみる。
「信念」というと高尚な響きがするが、「こだわり」とするとどうだろう?

どんな人にも、その人なりの「こだわり」というのはあるだろう。
そんな辞書ひかないと正確な意味もわからないようなカッコイイ言葉を
使わなくても、誰もが少なからず持っているものなのだ。

でも、最近、それってただ「頑固」なだけなのかなー、とも思う。
結構、自分で自分のことを「信念の強い人間」だと思っていた(笑)けど
「頑固者」と形容した瞬間に、なんと小さな人間に感じることか…

自分の感情やモチベーションをコントロールするのって、
意外と難しいことを知った
それも僕の性格が邪魔をしているんだろうけど、
一度ひねくれた性格はなおりそうにない…

2008年6月13日金曜日

運と実力

小飼弾氏のブログエントリ
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51059326.html

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そう。成果というのは、運を引数とする関数の戻り値なのだ。
実力とはモノ(what you have)ではない、機能(what you do)なのだ。
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実のところ、運そのものには幸運も悲運もないはずだ。
それが幸なのか悲なのかは、それをどう感じ、どう用いるかが決
まって初めて決まる。この解釈と対処の余地がある限り、実力、
いや自由意志(will)は確かに存在する。ヨットでさえ、風に逆ら
って進むことが出来るのだ。それよりはるかにパラメターが多い
人生ともなれば、工夫の余地はそれこそ一生かけても終らないほ
どあるはずではないか。
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確かにそう思う。
ここでいう“運”とはまぐれや希望的観測のことだけを
指すわけではない。

偶発的外部環境とでもいえばいいのだろうか
予測が困難で、本人のコントロール下にない事象すべてを指す。

引用にもある通り、
あなたが信頼する友人と出会えたことも
今、志望大学に合格し、普通に通えていることも
日本という国に生まれてきたこも
すべては“運”という偶然の産物なのだ

実力とは、その偶発的事実をどうコントロールし
どうやって成果につなげるかという“機能”でしかない。

“実力”とは定数でもなく、独立変数でもない。
“運”というパラメータによって決まる関数であり
それ自体は絶対値をもたない。

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人は、
自分の出した成果に満足したときは、自分の実力だと言い、
満足のいく成果を出せなかったとき、運のせいにする。

でも、そうじゃない。

自分の成果に満足したとき、“運”に感謝しよう。
どんなチャンスをものにしたのか、誰が助けてくれたのか。
満足のいく成果を出せなかったとき、“実力”に着目しよう。
自分の実力関数はどんな曲線を描くのか、どんな“運”なら生かせたのか。

僕は自分に相応の自信を持っているし、
それなりの成果も出してきたつもりである

でも、これまで巡り合ったたくさんの“運”に感謝している
大分県の片田舎にある公立中学で、のちの親友に出会えたことも
大分高専で生涯の恩師となるだろう人と
生涯のライバルになるだろう人に出会えたことも
IBM Business Collegeで多くのやさしい先輩たちに
かわいがってもらったことも
KINGでたくさんの意義深い経験をしたことも
そして、今、istにいることも
すべて偶然の産物であり、決して僕の実力ではない

これを生かすも殺すも僕次第
実力()をハックしなければいけない


高い成果をあげると、より多様な“運”に
巡り合える可能性が高いという意味で
成果が運にフィードバックされるような気がする。
実力()をラプラス変換して、フィードバック制御に当てはめてみると
おもしろいかも。まあ、それはまた後日。

2008年5月31日土曜日

テトリスと経営

最近、高専時代を懐かしむことが多く
ふとしたきっかけで、とある友人の日記をさかのぼってみた

高専時代に切磋琢磨したその友人の日記の中に
こんなおもしろい話があった(勝手に掲載してごめんね > 本人)

-----
1つだけ、ここに書ける面白い話が、俺とすえの思考パターンの違いをテトリスに例えた話。先生曰く

すえ→1段ずつ綺麗に消していく。途中に変な穴ができることはゆるさない。
俺→常に4段消しを狙っていく。多少変な穴が出来ても、長い棒をいれて一気に状況を改善してしまう。
-----

うーん、これ最初に読んだときも納得したけど
あらためて読んでも、非常に的を射た表現だ

高専在学中も、大学に編入学しても、会社を立ち上げてからも
この思考パターンだけはまったく変わってない気がする

もう少し、2段消し・3段消しを覚えて
効率よく仕事こなせるようにならないとね…

-----

会社はじめてから思うのは
経営者ってこれが両方できないといけない、ということ

1段ずつ綺麗に消していくのは
リスクは低いが、大きくあたることはないし

4段消しばかり狙っていると
なかなか長い棒が来なかったりする

多少変な穴ができても、それを覚悟で4段消しを狙うことも必要だし
長い棒が来ない(市場に好機がない)と判断した時点で2段・3段くらい消してしまうという判断も必要

経営って大変だなー

2008年5月27日火曜日

エンジニアリングとサイエンス

漠然とした問題意識が、具体的な現状把握に繋がった気がする
ずっと考えてきたことの答えに、少しだけ近づいた気がする

中卒のオレが学歴について語ってみる


上記リンクはアルファブロガーの小飼弾氏のブログエントリである

僕が、このエントリで“なくしたい”と
書いた壁のひとつに、「ビジネスとサイエンスの壁」がある

技術的にはすばらしい研究成果が、
エンジニアや経営者に受け入れられず
ビジネスとしての利益に繋がらない例はたくさんある
僕はそれをいつか解消したいと思っている

ただ、
-----
ソフトウェアエンジニアというものはありません。
少なくともまだないです。どういうことかというと、
これ以上削れないところまで削るのがエンジニアリング。
これ以上削れないところまで削るということは、
どこまで削るとそれが壊れてしまうかというのが
わかっていることです。
まだソフトウェアに関しては我々はそのレベルには
達してないんです。
-----

確かにそうだ。
ここでは簡単のため、
ビジネスとエンジニアリングを同義(※1)だとすると
少なくともソフトウェアの世界では、
壁があるのではなく、片方の概念自体が存在しないのだ。

ビジネス(エンジニアリング)とサイエンスは、
片方が進歩すれば、もう片方がそれに追いつく形で進歩する、
いわば車の両輪のように進んでいくのが理想であるが、
片方の車輪が異常な回転数で回っていたら、
うまく進まない(※2)のは当然といえる

(※1)
“ビジネス”のほうが広義で、“エンジニアリング”は
リソースのひとつと捉えるのが普通。

(※2)
厳密には進んでいるのだろうけど、
一見するとそうは感じられない。

次々に世に出されるソフトウェアサービスと比較すると
小難しい数学的な理論や言語理論の進展は遅い。
というか、ほぼないと言ってもいい。
#ハードウェアの進歩は、いまだにムーアの法則に則っているが。。

でも、大学ではそういう小難しい理論しか学べない。
世の中の動向が早すぎるために、
それを体系化してカリキュラムに組み込むには
大学という組織では無理があるのだ
学生も4年間(あるいは6年間)がんばって勉強しても、
卒業する頃にはまったく違った環境の中に
身をおかなければいけない。

大学では
デバッグのやり方やテストのやり方を教えてくれないし
プロジェクトの進め方やチームでの開発なども経験できない
設計に関しても、極めて理論的な話には触れるが、
それを実践することはない
業務で扱うような数千行~数万行のコーディングをする経験もできず、せいぜい数百行のサンプルプログラムしか書かないから
“仕事でソフトウェアを扱う”というイメージがわかない

これを是正するためには、
サイエンスの領域に、
エンジニアリングの最新動向を取り入れるしかないような気がする
ソフトウェア業界の成長を止めろといっても無理だし、
そうすることにメリットがない
“ソフトウェアエンジニアリング”が体系化されるのは、
ずいぶん先だろうから、それを待つわけにもいかない

エンジニアリング側の車輪の回転数が大きすぎるのならば
サイエンス側の車輪も同じ回転数で回せばいい
そうすれば、両者間の乖離はなくなるのではないか

大学に戻って、研究をする上、目標とすることが今決まった

2008年5月20日火曜日

パラダイムシフト

先週末、以前所属していたビジネスコンテスト運営団体KINGの
母団体WAAVの新歓合宿に参加してきた

後輩たちもこのブログをよく読んでいるらしいので
ブログのネタにするのはやや気がひけるが、
胸に残るものがあったので、書き留めておくことにする

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KING2007が終わってもうずいぶんと時が経つ
以前、こんなブログも書いた

でも、まだまだやり残したことはある
たくさんの愛情と、ほんの少しの未練
それらは確かにそこに存在する

僕がKINGの実行委員として活動する上で掲げた目標は
おそらく、それまでのどの先輩とも違う価値観に基づいていて
ある意味、“KINGらしさ”というものがなく
そして、到底1年で実現できるものでもなかった

だからこそ
1年間、たくさんの愛情を注いでも足りず、
できるだけのことをやっても未練が残る

こうなることは
活動内容の充実度や
僕自身の努力とは関係なく
僕がビジョンを掲げたその瞬間に決まっていたのかも知れない

そんな僕にとって、
新歓合宿というコンテンツの影響は非常に大きいものだった

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合宿中、2人の後輩が僕の前で涙を見せた

1人はKINGに出会えたことによるうれしさ、
そして、もう1人はある種のくやしさによるものだった

その涙を見て、僕は考えさせられた

後輩が流したうれし涙は
僕の成果だと言えるだろうか?
その後輩に対して、本当に愛情を注いであげられただろうか?
一人一人とちゃんと向き合って、成長をサポートしてあげるための
覚悟が、当時の僕に本当にあったのか?

後輩が流したくやし涙は
僕の責任ではないだろうか?
僕の過剰な愛情と、過剰な干渉が
後輩たちが本来得るべき充実感と達成感を奪ったのではないか?

そう考えると、どうしても責任を感じるし
掲げたビジョン自体の正当性を疑わざるをえない


でも

後輩たちは
「末並さん、ありがとうございました」と言ってくれた
「僕(私)が、KINGを次に伝えます」と言ってくれた

素直にうれしかった

1年半ほど前、
僕がビジョンを掲げ、他の実行委員の前でそれを伝えたとき、

賛同できないという雰囲気だった
反対すらされた
先輩たちにも「珍しい」「変わってる」と言われた
「お前は本当にそれで満足なの?」とも問われた

でも、僕にとっては、それが真実だったし
他にどんな妥協をしても、それだけは曲げたくなかった
そして、1年間、それだけは貫いた

それが、今、ようやく実を結んだ
確かに、これは小さな小さな一歩に過ぎないだろう
これが達成だなんて思っていない

でも、少なくともこの2人の後輩には僕の想いが伝わったんだ
“KINGらしさ”のなかったビジョンが、はじめて受け入れられた

パラダイムシフト

必ずしもいいことばかりではない
弊害もたくさんあるし、それは徐々に顕在化していくだろう

でも、
このパラダイムの変化が、5年後、10年後のKINGのためになるように
まだ見ぬ次世代のKING実行委員にも受け継がれていくように
これからもがんばっていこう

そう思わされた合宿だった

2008年5月12日月曜日

相川さんと渡辺さん

人材事業をやっていると、
どんな人にどんな職業が向いているか
を考えることが多い。

もちろん、最終的には本人のやる気次第なのだが、
それでも性格による向き不向きはあるものだ。

たとえば、コンサルタント。
某外資系コンサルティングファームで
マネージャだかシニアマネージャだかまで経験した人の話によると
コンサルタント、特に戦略系に求められるのは、
自分なりの仮説をすばやく構築する能力
であるとのこと。

就職面接でありそうなこんな質問。
「MicrosoftがYahoo買収から手を引いたことについて
 どう思いますか?」
「あなたがMicrosoftのCEOなら同じことをしましたか?」






















10秒以内に回答できた人はコンサルに向いている可能性が高い。

逆に、時間をかけた挙句、ありきたりな回答しかできなかったり、
簡単に「わかりません」と言うような人は
限られた情報から仮設を構築する能力が乏しいと言える。

#残念ながら、僕は後者です。泣

例の質問には、そもそも正しい答えなどないのだから、
マスコミがとりあげている表層的で
限られた情報をどのように分類・整理し、
自分なりの仮説を構築できるかが重要というわけだ。


では、僕が現在仕事としているエンジニアはどうだろう。
こちらはまったく逆で、思慮深く、
考察に考察に重ねて発言する人が望ましい
らしい。

業務システムで扱う情報は
その企業の機密情報である場合が多く、
コンシューマ向けのサービスでは
会員の個人情報を管理しなければいけないため
あらゆるセキュリティリスクに対して気を配らなければならない。

また、ITエンジニアに限らなければ、人命を左右することさえある。
#設計ミスで、自動車の車輪が
#走行中にはずれる事態を想像してもらいたい。

このように、あらゆる事態に気を配らなければいけないエンジニアは
不完全な情報の中で不確実な回答をしてはいけないのである

“仮説”とは、
コンサルタントにとっては、
ゴールに近づくための強力なツールであるが
エンジニアにとっては、
他に配慮しなければいけない部分を
見えにくくする不完全情報
でしかない。



それとは別で、次のような話がある。
以下は、DeNA南場社長のブログからの抜粋である。
http://ameblo.jp/nambadena/entry-10069026980.html

 -----
 アイカワとかアイザワとか。五十音順でもアルファベットでも
 最前列の彼ら彼女らは、常に何事も最初にあてられる。十分に
 思案する時間などなく、突然身に降りかかった難題、それは
 自己紹介だったり質問への回答だったり、運動や作業だったり、
 ありとあらゆる類のものだが、それらを全員の注目を浴びながら、
 圧倒的な準備不足の中、なんとかまともに切り抜けて来た連中だ。
 そして次の難題がいつ降りかかってくるのか、常にその
 プレッシャーと戦いながらまともな大人になって来た。
 -----

 -----
 ワタナベが悪いわけではない。もうヤ行とかワ行になると、すべて
 前に言われていて、よほど変わったことを言ったりしたりしないと
 目立たないという宿命の中、必死で自己主張して来たわけだ。
 彼らにはひと工夫のクセがついてる。
 -----

僕は占いや科学的な根拠のない相性診断などは信じないのだが
これには結構納得させられた。
僕のまわりでも、
出席番号の早い人は、積極的に発言するタイプが比較的多く
出席番号の遅い人は、じっくり考えてから発言するタイプが多い


先ほどの話も踏まえると
コンサルタントは、あ行やか行の人が向いていて
エンジニアは、や行やわ行の人が向いていることになる

根拠薄弱な理屈であることは明らかだが
少なくとも僕のまわりを見る限りでは、
あながち間違っているわけでもない気がする

自分のキャリアに迷っている人がいたら
ひとつの基準としてどうですか?

#僕はさ行で始まる名前を持ちながら、かなり思慮深いタイプです
#根拠のない理屈嫌いだし、ブレストとか苦手だし。
#エンジニアでよかった。

2008年4月15日火曜日

文系と理系(2)

前回のエントリに書いた意識高い新入生
もうひとつ、気になることを言っていたので
続けてになるがご紹介。

続けてネタにしてごめんね > 本人
たぶん読んでないと思うけど


彼は「公認会計士をとりたい」と言ったあとにこう続けた

理系の人は大学で学ぶことが専門性になると思うんですけど
文系だったらそうはいかないじゃないですか
だから、絶対に在学中に資格をとりたいんです

言っている意味はわからなくもないけど
以前もブログに書いた通り、
やっぱり文系・理系という言葉は気になるし、
その両者の間にはやっぱり明確な壁はあるんだなーと感じる

こういう発言は彼からだけでなく
周囲のあちらこちらから聞こえるし
僕としては問題意識を感じざるを得ない

僕から見ると、

法律とか会計は
(別に「弁護士」や「公認会計士」でなかったとしても)
間違いなく専門性だと思うし

政治学でも哲学でも文学でも

その道を極めればそれは専門性だと思う

逆に、僕の知り合いでも
数学ができない工学部生とか
いまだにプログラミングできない高専卒業生とか
たくさんいるし、
本来大学で専門としているはずの分野と
まったく違うフィールドで生きていこうとしている人
何人も見てきた

まあ、僕の所属する学科が工学系では珍しい
ゼネラリスト養成学科
だからなのかも知れないけどww


高専を卒業するというバリバリの理系コースを歩みながら
工学系の中では珍しい文系寄りの学科に所属し
経済学部や経営学部の多いKINGで活動するという
よくも悪くも文系と理系の間を進んできた僕の経験からすると

両者はお互いにコンプレックスを感じているように思える

いわゆる文系と呼ばれる人たちは、
理系のような専門性を持っていないことを悔しく思い
すごくうらやましく感じているような発言をするし

いわゆる理系と呼ばれる人たちは、
自分の専門以外の知識や能力が乏しく、
比較的何でもできて、企業や省官庁でも
高い位にいる文系をうらやましく感じているような気がする

ちなみに、両者のニーズのぶつけどころになっているのが
うちの学科で、文科系から理転進学する人もいれば
文転したかったけどし損ねた人もいる


そういう僕も、高専時代は
何でもできる人に憧れた

5年間もソフトウェア開発を専門として学び、
就職率も高いにも関わらず
大学進学をしようと思ったのは
専門性を高めたいというよりはむしろ、
一般教養と広範な能力を身につけ
汎用的な人材になりたいという気持ちのほうが強かった

今でこそ、
エンジニアとしての生き方に価値を見出しているけど
そこにたどり着くまでには、ずいぶん遠回りをしたと思う
#ちなみに、「エンジニアとしての生き方に価値を見出した」と
#いっても、別に“技術バカ”になりたいわけではない
#あくまで理想は「技術と市場の架け橋」
#ようするに、技術寄りのゼネラリスト


文系の人も、理系の人も
“文系だから”“理系だから”を言い訳にしないで
お互いもっと歩み寄ればいいのに

たかだか17歳や18歳のときに
周りから急かされて決めただけの進路でしょう
これからの人生のほうが長いんだよ

と、もっと大きな声で言いたいけど…

“壁”をなくすことって大変なんだな
そんなことを感じた新歓説明会でした

2008年4月13日日曜日

長いようで短く、短いようで長い

昨日、昨年までスタッフとして活動していた
KINGの母団体WAAVの新歓説明会に参加してきた

KINGのOBとして
KINGから得られるものビジネスの醍醐味
新入生に伝えて欲しいと言われ
パネルディスカッションに参加してきたわけだ

KINGの魅力はたくさんあるけれど
やっぱり最後の最後で所属する団体を選ぶ基準になるのって
その団体にいる人がどれだけ魅力的かってこと

だから、僕は
一般的なKINGのよさとか
ありきたりなフレーズでなく
末並晃という人間が何故KINGに所属し
KINGから何を得て、今どう生かされているか

ということを中心に、あえて個人的な話をたくさんした

パネラーとして一緒にトークしたのは、
KING2007の実行委員長だけど、たぶん彼も一緒


特に強調したのは

工学部所属であること

コンサルタントとか金融とか広告でなく
あくまで技術畑で勝負できる人間になりたいこと

KINGは、技術動向を取り巻くビジネスという
大きなストーリーを体感するための場であったこと

など。

そうすると、トークセッションのあとに
とある新入生が話しかけてくれたので、
本人に無断であるが(プライバシーに触れない程度に)ご紹介。

――――――――――――――――――――――――――――――

その新入生は工学部ではないのだが
何かスペシャリティを持った人間になりたいとのことで
「あくまで技術畑で勝負!」という僕の話に共感してくれたらしい

そんな彼、まだ大学に入学したばかりなのに
非常に意識が高く、公認会計士を目指して勉強したいとのこと

まあ、つまりWAAVでの活動と資格をとるための勉強を
両立できるか不安という相談だったわけだけど
こればかりは人の人生を左右することだし、
一概に返事ができない

ただ、2年弱の間、KINGに所属していた経験でいうと
自分のスペシャリティが何であるかを知り
それにもとづいたキャリアプランなんかを考えるためには
自分の能力や価値観だけでなく
それを取り巻く外的要因(市場動向や国際情勢、
同年代の他学生の能力・価値観など)をも
把握していかないと
たぶん困難だと思う。

大学の4年間って、結局そのための試行錯誤期間だと思うし
19歳のときに決めた道をまっすぐに進むことができるのって
よほどしっかりした18年間をおくってきた天才大学生か
よほどのバカのどっちかだと思うんだよな…

どうせ試行錯誤するんなら、
多種多様な人が集まっているWAAVは最適な環境だと思うし、
僕自身は、遠回りしたけど自分の在り方見つけた気がする

ちょうど大学に入った頃って
たった4年しかない大学生活、有効な過ごし方をしたい
と思いがちだけど、実は大学の4年間って
試行錯誤してもなお たくさんのことを学べるくらい長い時間なんだよね

そう考えると、WAAVで1年半過ごすことは
間違いなく有効な過ごし方だと思う

最後はWAAVの宣伝みたいになっちゃったけど
WAAVの企画に入るにしろ入らないにしろ
わざわざ僕のところに相談に来てくれた彼には
いい4年間をおくって欲しいなと切に願います

2008年4月9日水曜日

休学しました

2月くらいからずっと心に決めていたんですが、

諸手続きを終え、正式に大学を休学しました。

istの事業を軌道に乗せるために全力を尽くします。

とりいそぎ、ご報告。

2008年4月8日火曜日

RSSリーダーをGoogle Readerに変更してみた

特に何があったわけでもないんだけど、

突然
今や世界的な大企業になったGoogleのことをより深く知るには、
Googleのサービスをもっと利用しなくちゃダメだ!

と思い、RSSリーダーを変更した。

ちなみに、これまではlivedoor使ってました。


OPMLファイルでエクスポート/インポートすればいいので
スイッチングコストは実質ゼロだが、
使い勝手は違うから、慣れるまでは手間取るかも。

ちなみに、ブックマークも
Google Bookmarkを利用することにした
ソーシャルなわけではないのだけど、
Web上に記録されるので、手元の環境によらず、
自分のお気に入りサイトを閲覧できる

しかも、GMarksというFirefoxアドオンを導入すれば
あたかも、ローカルのブックマークで
あるかのように扱うことができる


早速、オフィスのPCにインストール。

【参考URL】
https://addons.mozilla.org/ja/firefox/addon/2888
http://mozilla-remix.seesaa.net/article/22894577.html

いやー、これは便利。
今まで混沌としていたブックマークだけど、
ようやく綺麗に整理された

しかも、GMarksアドオンを使えば、
Readerでスターをつけた記事が
自動的にGoogle BookMarkに登録される
というスグレモノ

RSS読んでるときに
今時間ないけど、これあとでゆっくり読みたい!
ってこと、絶対あるはず。
そんなときにスターをつけとけば、
ブックマークに登録されてるという感じ。

インターフェースはG-Mailとほぼ一緒で、
ずっと使い続けているから慣れているし、
いちいちサーバにリクエストが送信されず、
クライアントサイドで処理が行われる
Ajaxでの実装はやっぱり軽快

どんどん進化していくGoogleサービス群

あとは、
・bloggerにトラックバック機能を搭載
・Google Docsの機能をMicrosoft Officeと同水準まで引き上げ
できれば文句はないんだけどな。

2008年4月6日日曜日

文系と理系

たとえば、これからレポートを書くとする

どこから書きますか?




回答:結論から書きます

―――――――――――――――――――――――――

このやりとりは、僕とKINGのとある後輩との会話

その後輩は東京工業大学に在籍する女の子で、この4月から3年生
KINGでは数少ない理系仲間である


何故、先のような話になったかというと

最初は、その後輩から
文章書くの苦手なんです、どうすればうまくなりますか?
という質問されたことに始まるわけで

普段、どんなドキュメントに触れることが多くて、
どういう書き方をしているかを
試してみる意味で質問したというわけ

僕も彼女も工学部に在籍しているため、
結論から執筆する
という認識は、極めて常識的であり、
むしろ、周囲の人がごく自然にやっているような
読み手が読む順番に書くというのは
非効率すぎるというのが正直な感想である

そういう意味では、その後輩にも
ドキュメントの目的や伝えたいメッセージを定義して
そのために必要な実験的結果、数値的事実を文章化し
そこに導くための過程や前提を補足するという
ドキュメントの構成能力のようなものは備わっているんじゃないか

―――――――――――――――――――――――――

とはいえ、別に僕は
「正しいドキュメンテーションの仕方」について
議論したいわけではない

正しいドキュメンテーションなんて、
ドキュメントの種類によるし、
それを執筆する個人や組織の流儀・文化にもよるし、
何よりも読み手が誰なのかわからないと定義できない

仮に
「正しいドキュメンテーション手法」
というものが存在したとしても
それを語れるほど、僕自身に経験もないし。

先のエピソードから言いたかったことは、
僕の質問に対して、
彼女が何の迷いもなく「結論から」と回答したこと

周囲には、先頭から文章を作っていく人が多いなか、
こういうことがが当たり前に身についているのって
レポートとか論文を書くことが多い理系の特権なのかなーと思った

先日、こんな日記も書いたが

僕はごくごく小さな言葉の表現にもこだわりがあって、

なるべく
度を越えた表現
とか
誤った解釈を与えかねない言い回し
とかにならないように努力している

「文系」「理系」という言葉もそのひとつで
本来であれば、使いたくない表現である

学問を文系と理系の2つに分類するのはナンセンスだし

今の日本の学生を見ると、

文系だから数学できない

理系だから大学院にいかないと就職先がない

など、何かができないことの言い訳にしか使われていない


だけど、冒頭のエピソードのように

ちょっとした会話の中でも、
理系の人間に対して仲間意識を感じることがあるし、

波長が合うというか、
話していて疲れないというか、
そういうことってあるんだと実感する

そのとき、不覚にも「自分って理系なんだ」と思ってしまう

将来的に、僕は世の中にある
たくさんの「壁」をなくしたいと思っているが
“理系と文系の壁”もそのひとつ

僕らが一生懸命研究して世に出している成果を
“理系”という大きな括りで語って欲しくないし、

“理系”でも“文系”でもない新たな学問領域
これからさらに世の中に影響を与えていくはずである

基本的に、
文理は一体とならないと価値を提供できないもの
と僕は思っているし

経済学部の学生が多いKINGの実行委員をやっていたのも
KING2007が“多様性のあるコミュニティ”を理念として掲げたのも

そういう思いが根底にはある

しかし、現時点では、明確な壁が存在するのも事実
一体、どうしたものか

2008年4月2日水曜日

ひとつの終わりと、ひとつの始まり

4月になった。新年度の開始。
株式会社istも、新サービスリリースに向け、
大忙しの毎日を送っている。

読者の皆さんはどうでしょう?
それぞれの年度越しをしたのではないだろうか。

さて、2007年度が終わり、2008年度に突入した昨日
とある事件が起きた。

説明するより見てもらったほうが早いので
以下の写真を参照。



まあ、見てもらえばわかると思うが、
昨年度、僕が実行委員として関わったKING2007の
オリジナル携帯ストラップである

コンテストが終わってからも、
愛用し続けていた

そんなストラップ



切れました…

先ほどの写真をアップにしてみる


偶然にしては出来すぎの事件


ちょうど

2007年度が終わった次の日だし

KING2007の最終報告書が完成して数日後のことだし

2007の実行委員長から、
KING2007の終わりを告げるともいえる
あるメールが届いた日だったし…

-----

昔、ミサンガとか流行った

切れたときに願いが叶うといういわれがあって
多くのスポーツ選手が愛用していた

それと同じで、このストラップが切れたことも
そういう意味があるように思えてならない

ようやく、これで僕にとってのKING2007は終わり、
1年間追い続けた理想が実現されたのかもしれない

もう十分がんばったから少し休めよ
他に新しいことに取り組んでみなよ
っていう意味かもしれない

ある後輩は、よく僕に
末並さん、子離れできないですね(笑)
と言う
そんな後輩たちのエネルギーがここまで届いたのかもしれない

KING2007の最終報告書も完成し、
協力していただいた企業への挨拶も明日で完了し、
KING2007に参加した学生も4月に入り、進級・就職した

そして、現役の実行委員会は
2007ではなく、KING2008実行委員会として
新たなる仲間を求め
首都圏各地で新歓活動を行っている

時は流れ、いつまでも思い出に浸ってばかりいられない
終わりがあるからこそ、始まりがあるわけだし
KING2007が終わったからこそ、istの末並がいる

ひとつひとつの成功や失敗に一喜一憂することなく
一歩一歩、前に進んでいけたらと思う

2008年3月29日土曜日

“尊敬”という言葉について考えてみた

ふと“尊敬”という言葉について考えてみた

僕は“尊敬”という言葉が嫌いである

いや、正確には“尊敬”という言葉を軽々しく使うのが嫌いである

この言葉の恐ろしいところは

日本語としての難易度はあまり高くなく、
小学生でも知っている言葉であるのに

それが持つ重みは、
一般的に使われているよりもはるかに重い


というところである

だから、僕は

「○○のこと、尊敬するわー(笑)」みたいに
ネタとして使用するシーンを除き

ほとんどこの言葉を発さないし、

憧れる

とか

個人的には好きである

とか

敬意を表する

とか

維持でも違う表現に置き換えて使用するようにしている

#“リスペクトする”という表現は使うかな。
#英語にしただけなんだけど、何か少し軽くなる気がする。

そんな僕が

これまで「この人は尊敬できる」と思った人が3人いる

それはビル・ゲイツでも孫正義でも
セルゲイ・ブリンでもラリー・ページでもなく

すべて顔を合わせたことのある身近な人

中学の同級生

高専時代にバイトしていた店の店長

同じく高専時代に参加したインターンシップで
一緒に参加していた人

の3人である

だが

当時の僕が何を思い、何を考えていたかは別にして
今ではこの重い言葉を使用すべき相手ではないかもしれない
と思うことがある

もちろん、嫌いになったわけではなく
今でも、憧れているし、個人的には好きだけれど
“尊敬”しているかというと疑問が残る

それは、
しばらく会っていない
ことが理由かもしれないし
僕自身が成長して、その人たちに追いつきつつある
というのが理由かもしれない

いずれにしても、“尊敬”という概念も相対的なものであり、
現在の自分と他者との間のギャップを表しただけのような
時間の経過に沿って変化していくような
そういう言葉なんだと実感する

そうなると、なおさら気軽には使えないし

同時に

目指すべきゴールのない道を歩むことにも似た
苦難を経験することになる

でも、そうはいっても、先ほど述べた3人のうち、
ある人だけは今でも尊敬している
と自信をもって言える

それだけで僕にとっては十分だし、
80年の人生の初期段階でその人に会えたことを素直に嬉しく思う

2008年3月28日金曜日

SaaS版Photoshopリリース - インターネット五大帝国

SaaS版Photoshopがついに公開、早速使ってみた

昨日に続いて、クラウドコンピューティングの話

マイクロソフトがオフィスソフトウェアの
デファクトスタンダードなら

クリエイティブソフトウェアのデファクトスタンダードは

誰が何と言おうとAdobeである

2~3年前にMacromediaを買収して以来、その地位を脅かす企業は
ほとんどいなくなった

そのAdobeがSaaSによるアプリケーションを公開したというのは
ますますアプリケーションのWeb化を予兆させることである

記事中にもあるように

米国へのアクセスになるので、日本からだと応答が悪く
現時点では満足なユーザビリティを実現していないが

そのうち、日本語版もリリースされ、
国内のサーバでも運用されるはず
#そうなってくれないと困る
#回線とかよりむしろ、英語が…

こんな記事もあった
Photoshopだけじゃない、アドビが全製品のSaaS化に言及

昨年末の記事であるが、約半年前からこんなことを
表明してたんだね

IllustratorやDreamweaverがブラウザだけで
利用できるようになると、本当に嬉しい

以前も紹介したサイボウズ創始者の高須賀氏と
お会いしたときに話したことであるが

一説によると、これから10年後・20年後の世界では
アプリケーションが稼動するコンピュータは
世界に5台程度しかなくなる

と言われているという

他のコンピュータは、OSとブラウザしか搭載されてなく
必要な処理はすべて“ネットのあちら側”で行うという時代

少しロマンのある表現をすれば

インターネットという仮想空間に
5つの巨大な帝国が築かれる

ことになるが、その5つの帝国の中に入ろうと
Adobeも様々なサービスを展開してくるであろうことは間違いない

高須賀氏も
たった5つしかないコンピュータのうち、1つは自分のものである
という夢を見たいと言っていた

ますます進展するアプリケーションのWeb化
近づくクラウドコンピューティング世界

現時点で(おそらく)もっとも大きなGoogle帝国
今後、どうなっていくか楽しみである

2008年3月27日木曜日

高専、グリッド、クラウドコンピューティング

『MSと高専機構、全国の高専のPCを利用したグリッドコンピューティングプロジェクトを開始』

知っている人も知らない人もいると思うけど
僕は高専の出身者である

大分工業高等専門学校に5年間在籍し、卒業研究では
XML WebサービスとRDBの連携システムについて研究した

同じ研究室に所属していた仲間は、複数台のコンピュータを
接続して負荷分散するクラスターサーバの性能評価検証を
行っていて、研究室の教授の専門もそちら

そんな経験を持つ僕にとって
このニュースは非常に興味深い

高専

グリッドコンピューティング

マイクロソフト


強烈すぎるこの3つのキーワードを見て、響かないわけがない

マイクロソフトがどういう目論見でこのプロジェクトに
参加しているか現時点では判断しかねるけど、
僕たちが数年前に研究していたことに対して、
世界的な大企業が手を出してきたことは素直に嬉しい

現在でも、米IBMをはじめ、システムソリューションを
生業とする企業はグリッドの研究開発を行っているが、
それは
科学技術計算などをスーパーコンピュータに代わって

行わせるためである

デファクトスタンダードのOSとオフィスソフトウェアを提供する
マイクロソフトが、グリッドを運用できるノウハウを持ったら
アプリケーションのウェブ化はますます進展するということは
想像に難くない

スーパーコンピュータの代替
ではなく
膨大なアクセスを処理するウェブシステムを
運用する高性能メインフレーム

としてのグリッドコンピューティングが数年後に実現するのかも

そうなると、
僕がリスペクトするGoogleの最大の競合になるわけだけど
それはそれで、お互いがどういう戦略をとるか興味がある

Googleが提唱する“クラウド・コンピューティング”の世界
その一歩が
「高専で始まったグリッドコンピューティング」
だったら、すごい嬉しいなー

2008年3月24日月曜日

携帯電話産業の今後

「ドコモ携帯、基本ソフトの設計簡素化へ」
http://tinyurl.com/3xfc89

一説では“日本では普及しないだろう”といわれていた
Googleのモバイル用オープンプラットフォームAndoroidであるが
国内最大手キャリアであるNTTドコモが
OSを軽量化するためにAndoroidを導入すると表明

携帯電話市場が一番成熟している日本でAndoroidが流行れば
世界中でプラットフォームになるイメージも容易にわく



メーカ側がどのような出方をするか気になるところ
Andoroidプロジェクトを成功させるために設立された団体
「Open Handset Alliance」にもNTTドコモやKDDIは参加しているが
日本のメーカは1社も参加していない

開発プラットフォームが一新されるのは
かなりのコストを伴うと思うので、それも納得
#そもそも、メーカでは、世界最大手のノキアですら
#現時点では加盟していないしね……

しかし、一エンジニアとしては、プラットフォームが統合されて
キャリア間の差異を考えなくてよくなると非常に嬉しい
これから到来するであろうモバイル時代、ますます開発効率を
あげる必要がある中でGoogle Andoroidがもたらす恩恵というのは
非常に大きいと思う

しかし…
日本ではヤフー株を保有するソフトバンクも
携帯電話キャリアとして事業活動を行っているわけで…

そこのところ、どうなんでしょう?

2008年3月23日日曜日

組織の矛盾

というのを、ここ数ヶ月でよく考えるようになった。

組織とは本来
一人では達成困難なことでも、
複数人で行えば達成することができるから
結成するものである

だが、実際はどうか
2-3人からせいぜい10名弱の組織ならともかく
数十人、数百人となると、組織で活動するオーバヘッドがかかり
逆に動きづらくなったりする

これは日本では
「大企業病」とか
「官僚型組織」と言われて非難される

僕の大学でのゼミの先生は、東京大学の非常勤講師で
本職はとある会社の代表取締役社長
かつては、某外資系企業の
本社(日本支社ではない)副社長まで勤めた人であるが

そんな人でさえ

あの何千人から構成される組織は
私(副社長)でも変えられなかったですよ


と言っていた

そう考えると、大企業とか大きなプロジェクトに
参画する魅力をあまり感じなくなる

「組織」と、それを構成する「人」、その育成過程である「教育」
ここらへんを抜本的に何とかしていかないといけない気がする

#大企業出身で、今、大学の先生をやっている人に話を聞くと
#「矛盾だらけの組織を必要悪だと捉えて、
# それを経験することは重要だよ」と言っていた。
#それくらい割り切れるといいね。

2008年3月22日土曜日

ビジネスの醍醐味

一日、日記を休んでしまいました。すみません。
ちょっと忙しくて書けなかったんですが、何日も休んでいたら
読者に逃げられてしまいそうなので、今日はがんばります。

さて、前回に続き、KINGの話題からです。
一昨日、現役のKING実行委員会の
中間報告会に行ってきました。
中間報告会というのは、現在コンテストに向けて活動している委員が
過去のコンテストで活躍したOB/OGに対して、進捗を報告する催し
現役にとっても、OB/OGにとっても、非常に意義深い会です。

そこで、現役が強く主張していたのがタイトルにある
ビジネスの醍醐味
今年度のコンテストでは、ビジネスに漠然とした興味を持っている学生に対して
その醍醐味を知ってもらい、“もっと”と思わせることがゴールであるとのこと。

このビジョン自体は非常にすばらしいし、KING2006-07の活動を通して、
ビジネスの醍醐味を知った(少なくとも自分ではそう思っている)僕としては
ぜひともがんばって欲しいと思う

では、ビジネスの醍醐味とは何だろう?
このゴールを目指すにあたって、一番の肝はその定義だ。
もちろん人によって違うのだが、KING2008がどう定義するかは
彼ら自身に任せるとして、僕自身にとっての“ビジネスの醍醐味”を考えてみよう



さて、読者のほとんどは知っていると思うが、僕は工学部の学生である。
ビジネスパーソンである前に、エンジニアである。

そんな僕にとっては

誰かが一生懸命に開発した技術が、具体的にどうやって消費者のもとへ届き
どんな価値を生み、どうやってキャッシュに変換されるのか

というところに興味がある。

逆に

世の中の消費者が何を求め、企業がそれをどのように汲み取って解釈し、
具体的にどのような技術を生んでいくのか

というところも興味の対象である。

一言でいえば、ニーズとシーズがぶつかる場所
そこがビジネスの一番うまみのある部分じゃないかなーと思う
#ニーズが先か、シーズが先かは本質的な問題ではない
#業界や、社会の動向や、企業の文化によって違うのだから
#比較する意味があまりない
#GoogleとYahooを比べるようなものだしね。



それから、もうひとつ
僕が専門とするソフトウェア開発とビジネスプランの策定・実施は
似ているなーと思うことがある。

それは、学問としての知識と現場での知識が著しく乖離していること
#もちろん、多くの学問において成り立つのだろうけど。。。

ソフトウェア開発に携わりたいと思う学生が大学で学ぶことは
情報数学、論理学、アルゴリズム論、ソフトウェア工学、データベース設計
プロジェクトマネージメント、プログラミング言語
など。

ビジネスにおいて活躍したいと考える人(特に企業戦略に携わる人)は
マーケティング、アカウンティング、企業戦略論、ロジカルシンキング
フレームワーク、金融学、組織論、チームビルディング・グループワーク(?)
などについて(たぶん)学ぶ。

だけど、実際の開発では、予期しないバグが連発したり、ひたすら可読性の低い
ソースコードになったり、メンテナンスが大変だったり、企業ごとに利用しているライブラリが違ったりして
多くの場合、教科書で学んだことに裏切られたり、ほとんど用いられなかったりする

実際のビジネスでも、立案した戦略をオペレーションにブレイクダウンする段階で予想しなかった困難が生じたり、突然不測の出費が生じたり、想定したターゲット層以外にウケたり、資金調達に苦しんだりして
戦略と業務が乖離する例はいくらでもある

そういう「学んだことがそのまま生かされない理不尽さ」
「学問のように単純に答えが出せないもどかしさ」こそが
システムを開発すること、ビジネスを実践することの魅力だと思う

別に僕は「現場主義であるべきだ」と言っているわけではない
学問としてのソフトウェア設計学にも、学問としての経営学にも
存在する意味があるからこそ多くの大学で教えているわけだし、
現場の人間の経験と感覚でしか前に進んでいかないビジネスなんてそれこそおもしろみも何もない

僕自身、情報理論やアルゴリズム論の講義を聞くのは好きだし、
ポジショニングマトリックス書いたり、MBA関連書籍を読むのも好き

だけど、それだけではない。
体系化された知識が前提としてありながらも
そこに各々の思想や文化や流儀を盛り込む余地があるからこそ
自分のアイデンティティーを確立することができるし、
自分がそのシステムに、そのビジネスに関わる意味がある。

アカデミックな知識とプラクティカルな知識
その2つは車の両輪のような関係だと僕は思っている
し、
そういうところに、大学在学中に起業することの意味があると思っている

2008年3月20日木曜日

マネージャーの資質

このブログの読者はみんな知っていると思うが、
僕は以前KINGというビジネスコンテストを主催する団体に所属していた。
htttp://www.waav.org/king/

そのときに担当は、
外務統括責任者というもので
実行委員長の下にいるNo.2的な立場
主な業務内容は、協賛企業への営業や学生へのマーケティング・集客、ドキュメントの管理やチェックなどで、KINGが外部と触れる部分をすべて監督するのが職責

俗にいう「マネージャー」という立場にあたると思うんだけど
自分でいろいろな作業をやっていたことも事実で、
世間一般で言われるマネージャーとしての務めを満足できたかといえば、それは微妙
#というか、たぶんできていない

istは立ち上がったばかりで、マネージャーもプレイヤーもないけど、今後社員が増えてくると、創業メンバーとしてマネージメントに徹しなければならないことがくるかも知れない
それを考えると、不安で、心配で、自分にそれが務まるか疑問になったりする
マネージャーの資質というものが定義できたとすると、それは何なんだろう?誰が知っているんだろう?
現在、模索中です。助けて下さい。

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まあ、KINGは構成スタッフが多様だし、マネージメントしにくい組織であることは事実
当面はそれを言い訳にしよう。僕のせいじゃない。笑

それにistは優秀なマネージメント層がもう2人いるし、大丈夫でしょう。うん。

2008年3月19日水曜日

f(x)の創造とxの代入

サイボウズという会社がある。http://cybozu.co.jp/
istも一緒にお仕事させていただいており、お世話になっている会社なのだが
僕は、その創業メンバーのひとりで元代表取締役社長の高須賀宣氏に
一度だけお会いしたことがある

そのときにお話していただいたことをちょっと紹介。

f(x)を創ることとxを代入することはまったく違う行為である

つまり、何もない状態から新しいものを生み出せることと
それをビジネスとして実現させたり、成長させることは違うということ

高須賀氏はf(x)を創ることを「起業」、xを代入することを「経営」と言っていたけど

たぶん、これは
「リーダー」と「マネージャー」でも
「経営者」 と「技術者」   でも
同じことが言えると思う

広告業界だったら、メディアを創ることと枠を売ることに相当するし
ネット業界だったら、インフラ事業とサービス事業に相当するし
テクノロジー企業ならば、基礎技術とその応用に相当する

ラリーページとセルゲイ・ブリンはページランクというアルゴリズムとそれを実装した検索エンジンを開発し、f(x)を創造した
エリック・シュミット博士は、単語に値段をつけてオークションを行うというモデルを提案し、f(x)を最大化するxを代入することに成功した

amazon.comはCGM企業の先駆者として、アフィリエイトというf(x)を創造し
世の中にいるたくさんの開発者や個人ブロガーまでもが、そのf(x)の上でサービスを
展開しており、よりよいxを探し求めている

ビジネスで常に意識しておかなければいけないのはTBCという3つのモデル
T: Technology model … 技術的にどうやって実現するか
B: Business model … 消費者が得た効用をどうやってをキャッシュに変換するか
C: Customer model … そもそも消費者にとっての価値は何か

ここで気にしなければいけないので、TBCのどの視点でf(x)を創ったか
そして、どの視点でxを代入すればいいか

Technology Modelが効いてくるのはf(x)なのか、それを最大化するためのxなのか

Googleの例では、f(x)がページランクアルゴリズムというTechnology Modelの結晶
だけど、f(x)自体は普通だけど、よりよいxを代入するためにTechnologyを必要とする例もある

だけど、やっぱり個人的には
圧倒的な技術力をもって、もっと素敵なf(x)を創れるようになりたいなー

だからGoogle好きなんだよね。

[参考]
http://blog.goo.ne.jp/ttakasuka/e/64a658463a3bb2a49dc50fd356c1e179

2008年3月18日火曜日

テクノロジーベンチャーセミナー

先日、知人の紹介でこういうセミナーに参加してきた。
http://www.itinfox.com/spro/q4inc/hvs0315/index.php

学生起業家からベンチャーの雄ともいえる企業の社長まで
多くの人が参加しているセミナーだった

年齢層としては、20代が3割、30代が2割、40代が4割、それ以上が2割といったところ
職種的には、エンジニアばかりかと思いきや、意外にマーケティングや営業の人もいた

いろいろな人が来ていたし、4人もの人にご講演いただいたけど

セミナー全体の趣旨をすごく大雑把に要約すると

技術だけじゃビジネスはうまくいかないよ

ってこと。


ビジネスを専門に学んでいる人や、実際に経営に携わっている人からすれば当たり前のことだし、
僕もマーケティングやセールスの重要性は“普通の”エンジニアよりはわかってるつもり

だけど、それでも「技術のコモディティ化」とか「技術は経営リソースのひとつ」とか
言われると、どうしようもなく切ない気持ちになる

製品のライフサイクルが短くなって、最新の技術がコモディティ化するのが早くなって
経営者の視点に立てば、ビジネスチャンスが増えているんだろうけど、
逆に技術者の視点に立てば、活躍の場がどんどん減り、アイデンティティを確立しにくくなってる

技術者がもっとビジネスの世界で活躍できるスキームはつくれないものか
Googleやはてなを再現的に生むことはできないものか

エンジニアリングマインドを持ったビジネスパーソンとなって
そういうスキームをいつか確立できたらいいなと思う

2008年3月16日日曜日

会社名の由来

ブログ設立後、2度目の投稿。本日は会社名“ist”についての話。

僕らの会社をよく知っている人からは、よく
あ、わかった。みんなの名前の頭文字でしょ!?
と言われます。

違います。

確かに創業メンバーの頭文字を並べるとistになりますが、それはたまたまです。
本当の意味は、scientistや romantistなどに用いられる、人を表す接尾語のistです。

これには「最高のチームをつくりたい」という弊社代表の飯田の想いが込められています。

いろいろな価値観、それぞれの主張、多様な専門分野
そのそれぞれを認めながらもチームとして高いアウトプットを出していく。

いろいろなistが集まってこそ、真に価値のあるものが生み出される。

そんな会社になることを願い、社名を「株式会社ist」といたしました。

このブログのタイトルの意味、これでわかりました?

2008年3月14日金曜日

ブログ開設

株式会社istでシステム開発を担当している末並です。

開発日記と称して、istでの開発の様子を伝えていくことにしました。
よろしくお願いします。