2008年8月30日土曜日

ブログをはてなに一本化します

これまで、Google Bloggerとはてなでブログを書いていましたが、このたび、はてなに一本化することにします。
Google Bloggerはトラックバックが送信できない仕様なので、いろいろ意見を書いても読んで欲しい人に読んでもらえないということと、日本国内でのユーザが少なくてなんか寂しいというのが主な原因です。

これまではてなはシステム開発に関することがメインでしたが、これからはBloggerに書いていた内容なども書いていくので、今後ともどうぞよろしくお願いします。

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2008年8月27日水曜日

プログラミング能力をつけるための高速道路の話 その2

昨日の続き。
前回の「(1) “サイエンスとしてプログラミング”と“ビジネスとしてプログラミング”の乖離」より、こっちのほうが数としては多い。

(2) PGは冷遇、PMは優遇という葛藤
前回は、コンピュータサイエンスをしっかり学んだ学生が現場で日々遂行される業務に興味を持てず、プログラマとしての道をあきらめる例を示した。しかし、そうではなく、単なるコーディングでもテストでもデバッグでも、とにかくプログラムに触れる仕事がしたいという人も相当数いる。アカデミックな意味でITを学ばずにプログラマになる人(田村さんの言葉を借りれば、まさに“文系プログラマ”)はほとんどがそうではないだろうか。
そんな人がプログラマをあきらめる理由は、プログラマの給与・待遇の低さと社会的イメージの悪さである。絶対数としては、おそらく「情報理論を生かせる職を見つけられなかった」人よりもこちらのほうが多い。

何故そんなイメージが根付いてしまっているのか、ブログのコメントやはてブコメントなども参考にしながら考察してみる。
コメントの中にもあるが、やはり気になるのは「プログラマを扱える経営者が少ない」「プログラマでマネージメントをやりたがる人が少ない」そして「プログラマの能力はピンキリである」ということ。
企業経営において情報システムの重要性が大きくなった昨今でも、多くの日本の経営者にとってはその部分がブラックボックスになっていることが多く、どれだけの投資でどれだけの価値を回収できるのかを判断することができない。その上、マネージメントをやりたがるプログラマが少ないので、IT投資(もちろん、プログラマの人件費を含む)の判断をできる人材が育たず、正当にプログラマが評価されない。
だいたいプログラマやSEの単価は1人月(1人が1ヶ月働いた場合)で80万~120万円程度である。低価格をウリにしている学生ベンチャーとかでもせいぜい50万円くらいだろう。それにも関わらず、プログラマの能力による生産性の格差というのは非常に大きい。人月単価の差は学生プログラマと大手ソフトウェアベンダー社員でも2倍ちょっとだが、生産性はおそらく10倍以上違う。これが現状。
給料を払う経営者側から見れば、超スーパープログラマでも雑魚プログラマでも単価120万円であり、大きな違いはない。スーパープログラマを評価できるマネージャもいないし、評価の仕組みもない。こういう環境下では、どんなにプログラミングが好きな人であっても、プロジェクトマネージメント能力を身につけて“コードを書く”という行為から逃げたがるのも無理はない気がする。

よく言われる“プログラマ35歳定年説”って、体力的な衰えとかではなく、結局こういう企業体質や社会体質によるところが大きいんだろうな。
 

2008年8月26日火曜日

プログラミング能力をつけるための高速道路の話

モバキッズの田村取締役が非常に興味深い日記を書いているので、紹介もかねて僕なりの意見を書いてみる。
Google Bloggerはトラックバックを送信できないという謎の仕様、、、黙ってたら田村さんに読んでもらえないので、コメント欄にURL貼っつけときます。>田村さん

プログラミング能力をつけるための高速道路を造りたいという話

まず、このエントリに対して僕ははてなブックマークで以下のようなコメントをした。

同意。が、日本ではプログラマの地位が相変わらず低いのも事実。高速道路の先(マネージメント階級とはまったく別のエンジニアとしてのキャリア)も用意できたらいいなー。

高速道路はすでにできつつあると思う。完成していると思っている人もいるだろう。その高速道路が機能していない(ように見える)のは、そこを走っている人が他の学習分野に比べて相対的に少ないからではないか。給与や待遇、社会的地位の低さ、3Kに代表されるイメージの悪さのため、走りたいと思う人が少ないのだ。

だから、僕の意見としては、むしろ高速道路の先をどう魅力的に見せるかだと思う。
高速道路の先は大渋滞かも知れないが、その先にモチベーションをかきたてられる魅力的な何かがあれば高く険しい道でも、けものみちでも走れると思う。大渋滞の先に何も魅力的なものがないからこそ、高速道路にものる気にならない。

なぜ、「高速道路にのる気にならない」のかについては、大きく以下の2点があると思う。あえて、文系プログラマを自称する田村さんの観点でなく、高専出身である僕の経験から考察してみた。

(1) “サイエンスとしてプログラミング”と“ビジネスとしてプログラミング”の乖離
ビジネスの醍醐味でも書いたが、高専や大学で学ぶコンピュータサイエンスの一環としてのプログラミングとビジネスとして行うプログラミングはまったく違う。
コンピュータサイエンスで必ず学ぶバブルソートやクイックソート、二分探索法、スタックやキュー、ヒープなどは実践の場ではまず間違いなくライブラリが用意されていて自分で実装することはないし、ビジネスの場で必要なデバッグの方法やコーディング規約の作成ノウハウ、クラッキング手法とそれに対抗するためのセキュリティ知識などは大学では詳しくは教わらない。
このような両者間のギャップのせいで「プログラマはダメだ、おもしろくない」と感じてその道を選択肢から外す人を数多く見てきた。サイエンスとビジネス、どちらに魅力を感じるかは人によると思うので、どちらかを強くアピールするべきだという話ではない。「大学でもっと実践的なプログラミング手法を教えればプログラマ人口は増えるか?」という問に関する答えは明らかにNOである。

そもそも、世の中で一般的に理系に分類されるコンピュータサイエンス(学校によって名称は違うと思うが、情報工学とか電子情報学など)を専攻しているような学生は、ある程度以上の数学の素養と、あらゆる事象を論理的に構造化することへの興味を持っているはずである。そういう学生に対して、体系化された情報理論や各種のアルゴリズムなどを教えることは、決して非合理なことではなく、モチベーションを一定に保てるという意味では非常にいいことだと思う。問題はそういう学生が卒業後にその知識を生かせるような職が圧倒的に少ない、ということである。
いや、絶対数が少ないというより、他の仕事内容に埋もれてわかりづらいというほうが正確だろうか。大学で学ぶような理論的な部分は、大抵の場合、その製品やサービスのコア部分であることが多く、簡単に外部の人間が知れるものではない。比較的、情報として入ってきやすいのは、そのコア部分をとりまく日々の保守・運用や膨大な数のデバッグ、コスト算定、プロジェクト管理などである。

これが、1つ目の高速道路にのらない理由。こういうコンピュータサイエンスの理論は好きだが、ビジネスとしてプログラミングをすることをあきらめる人というのは、大学の教授になったり、まったく関係ない職種に転職したりする。


ここまで書いて疲れてしまった。長くなってしまったし、続きは次回に。

2008年8月24日日曜日

今年もあらたな“夏のドラマ”が生まれる

先日、KINGのミーティングにお邪魔してきた。今年のスタッフにとっては最後の全体ミーティング。
そして、今日、後輩たちが多くの時間を費やし、たくさんの想いを詰め込んだコンテストKING2008が開幕した。

パラダイムシフトでも言及した通り、僕がKINGにおいて掲げた目標は、結構めずらしい価値観に基づいている(らしい)し、自分の世代だけで実現できるものではない。
そういう意味で、直近の後輩たちが主催するKING2008への期待はかなり大きい。

僕たちが渡したバトンを今年どういう受け取り方をし、どういう風に来年へ渡すのか、現時点では皆目見当もつかないが、僕らを含む過去のスタッフたちが築いた歴史と伝統をさらに光り輝かせるような、そんなコンテストにして欲しい

今年の夏も熱くなりそうだ
いったいどんなドラマが生まれるのか、楽しみである

2008年8月20日水曜日

バーベキュー&温泉

先日の日曜、KINGの仲間と一緒にバーベキューをした
あいにくの天気だったけど、僕自身はKING仲間とバーベキューするのははじめてだったから、なかなか新鮮だった。それに、涼しかったしね。笑

みんな、思い思いに近況を話す。
就活のこと、インターンのこと、今の生活、KINGの思い出、現役のKING、、、その他もろもろ。
“多様性”や“コミュニティ”をコンセプトに掲げただけあって、僕らの代のメンバーは能力も性格も価値観もバラバラ。「今、何やってるの?最近どう?」といういたって普通の話でも、回答はみんなそれぞれ違う。

あれから、もう一年経つんだよね、来週からはKING2008が始まるよ、
なんて、感慨深い気持ちになってみたり。

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バーベキューのあとは、みんなで近くの大江戸温泉に向かう。

男3人で、サウナと水風呂の交代浴。
今まで10分が限界だと思っていたサウナだけど、水風呂はいった後だと意外にいけるもんだと知った。

しかし、22℃の水風呂に対して、仲間の一人が終始、
「いやー、あの水風呂は温度高すぎやわー、18℃のに入ってみぃー。」
と言っていたのは、今思い出しても笑える。

風呂からあがって、射的をしたり、かき氷食べたり。
仲間の一人が射的でべジータの人形ゲットしたり、「桶盛り氷」というネタ以外の価値は一切ない商品を2人で食べたり、相変わらず話のネタには事欠かないKINGのメンバーだった。

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最近、休みらしい休みはなかったから、いい休養になったかな。
次に温泉行ったときは、水風呂が18℃でありますように。

2008年8月19日火曜日

起業家仲間との会食

もう一週間くらい前の話になるが、株式会社モバキッズの取締役2名と一緒にご飯を食べに行く機会があった。

モバキッズ西嶋社長のブログで紹介されています。
http://d.hatena.ne.jp/yukanon/20080815/1218753640
※西嶋さんが日記をはてブに移行してからRSS登録を怠っていたので、気づかなかった。。

やはり、僕自身が技術者的な思考なので、システム開発を本業とする人と会うというのはいい気分転換になる。
田村取締役ともプロジェクトマネージメントについて情報交換するものの、結局「難しいですよねー」という結論。
やっぱり大企業での勤務経験がない学生ベンチャーだと、いろいろと模索しながらノウハウを蓄積していくしかないんだと実感。そういう意味で、今後ともこういう機会は大切していきたい。

話変わって、西嶋社長のブログでも紹介されているist対モバキッズのクイズ対決について。
このゲーム、プレイヤーが自らジャンルを選択できるのだけど、「スポーツ」とか「エンターテイメント」とかについてははっきりいって僕は戦力外(笑)
このままではコンシューマと価値観の乖離が生じるのも時間の問題だと思い知るいい機会になった…

それに、慎重で臆病な性格なので、早押しはダメ。このゲーム、意外と自分の性格と知識の効果測定をするのに適しているんじゃないのか…?

「ゲームでは負けたけどリアルでは負けないから!」
とさわやか笑顔でその場を後にしたが
本心は悔しくてたまらなかったので、特訓を積み
しばらくしてから再度戦いを申し出るつもりである。

ということなので、こちらも返り討ちにするために特訓しよう。
まずは、早押しボタンを押せるように、アクティブな性格への矯正からだ。笑

2008年8月4日月曜日

言葉の師

最近、周囲が言語崩壊してる。
夕食の際、弊社代表の飯田と話していたときに出てきた話題。

それは例えば、2ch語の日常化だったり、意味のわからない略語だったり。
特定のコミュニティ内でのみ通じる単語や、必要のない英語化もある。

僕自身は、“尊敬”という言葉について考えてみた文系と理系のようなエントリを書いていることからもわかるように、言葉というものにこだわりがあるし、自分の口から発せられる以上はそれなりの責任とプライドを持っている。
そんな僕なので、言語崩壊していることを忌々しい事態だとは思うものの、自分自身がそれに影響を受けることはないだろうと思っている。

なぜだろう、と考えてみた。
結論は簡単。これまで周りに、言葉を大切にする人が多かったのだ。

高専時代に付き合っていた彼女は、哲学を志していて、近代哲学(デカルトとかカントとかフッサールとかが活躍した頃)についてとても深く勉強していた。特に、デカルトの“我思う、ゆえに我あり”という言葉をとても愛していた(ように感じた)。

高専時代のとある友達は、日本を愛する人で、意味のない英語化をとても嫌っていた。横文字での会話はなんとなくかっこよく感じるし、さも自分が外資系企業で働いているかのような満足感にひたれるが、ただそれだけ。日本人とコミュニケーションするのなら、日本語のほうがわかりやすいに決まっているというのが彼の意見だったのだろう。
それに、彼は大分県の中でもかなり小規模な村の出身だが、地元なまりを恥じたりせず、誇りを持っているようにさえ感じた。上京して1週間もたたないうちに標準語で話すようになった僕とは対極にあるこだわりの持ち主だ。

19歳の頃に参加したインターンシップのメンバーも言葉を大切にする人が多かった。“ウェスト飲み”と称して、西日本のインターン参加者が集結する企画がいくどとなく開催されたが、その夜はたいてい夜を徹しての熱い議論だった。進路、人生、恋愛など内容は多岐にわたるが、共通していることはそこでやりとりされる言葉の重さ。ウェスト飲みが僕を成長させてくれたことは間違いないと思う。

東京に来てから出会った友人にも言葉を大切にする人がいる。その友達とはじめて話したときに言っていたこと、今でも覚えている。
「“おもう”っていう言葉も、漢字で書くと“思う”と“想う”があって意味が違うんだよね。わざわざ違う漢字が存在してるってことは、それには何か意味があるような気がするんだよ。今の僕にはわからないけどね。」

彼らは僕にとって、まさに“言葉の師”だ。
僕自身は、哲学を志しているわけではないし、大分弁に誇りを持っているわけでもないし、横文字ワードも普通に使うけど、こういう人たちと一緒にいる時間が長かったおかげで、僕なりの言葉へのこだわりというのが確立できたように思う。

よい環境にめぐまれたものだ。