2008年3月29日土曜日

“尊敬”という言葉について考えてみた

ふと“尊敬”という言葉について考えてみた

僕は“尊敬”という言葉が嫌いである

いや、正確には“尊敬”という言葉を軽々しく使うのが嫌いである

この言葉の恐ろしいところは

日本語としての難易度はあまり高くなく、
小学生でも知っている言葉であるのに

それが持つ重みは、
一般的に使われているよりもはるかに重い


というところである

だから、僕は

「○○のこと、尊敬するわー(笑)」みたいに
ネタとして使用するシーンを除き

ほとんどこの言葉を発さないし、

憧れる

とか

個人的には好きである

とか

敬意を表する

とか

維持でも違う表現に置き換えて使用するようにしている

#“リスペクトする”という表現は使うかな。
#英語にしただけなんだけど、何か少し軽くなる気がする。

そんな僕が

これまで「この人は尊敬できる」と思った人が3人いる

それはビル・ゲイツでも孫正義でも
セルゲイ・ブリンでもラリー・ページでもなく

すべて顔を合わせたことのある身近な人

中学の同級生

高専時代にバイトしていた店の店長

同じく高専時代に参加したインターンシップで
一緒に参加していた人

の3人である

だが

当時の僕が何を思い、何を考えていたかは別にして
今ではこの重い言葉を使用すべき相手ではないかもしれない
と思うことがある

もちろん、嫌いになったわけではなく
今でも、憧れているし、個人的には好きだけれど
“尊敬”しているかというと疑問が残る

それは、
しばらく会っていない
ことが理由かもしれないし
僕自身が成長して、その人たちに追いつきつつある
というのが理由かもしれない

いずれにしても、“尊敬”という概念も相対的なものであり、
現在の自分と他者との間のギャップを表しただけのような
時間の経過に沿って変化していくような
そういう言葉なんだと実感する

そうなると、なおさら気軽には使えないし

同時に

目指すべきゴールのない道を歩むことにも似た
苦難を経験することになる

でも、そうはいっても、先ほど述べた3人のうち、
ある人だけは今でも尊敬している
と自信をもって言える

それだけで僕にとっては十分だし、
80年の人生の初期段階でその人に会えたことを素直に嬉しく思う

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