昨日の続き。
前回の「(1) “サイエンスとしてプログラミング”と“ビジネスとしてプログラミング”の乖離」より、こっちのほうが数としては多い。
(2) PGは冷遇、PMは優遇という葛藤
前回は、コンピュータサイエンスをしっかり学んだ学生が現場で日々遂行される業務に興味を持てず、プログラマとしての道をあきらめる例を示した。しかし、そうではなく、単なるコーディングでもテストでもデバッグでも、とにかくプログラムに触れる仕事がしたいという人も相当数いる。アカデミックな意味でITを学ばずにプログラマになる人(田村さんの言葉を借りれば、まさに“文系プログラマ”)はほとんどがそうではないだろうか。
そんな人がプログラマをあきらめる理由は、プログラマの給与・待遇の低さと社会的イメージの悪さである。絶対数としては、おそらく「情報理論を生かせる職を見つけられなかった」人よりもこちらのほうが多い。
何故そんなイメージが根付いてしまっているのか、ブログのコメントやはてブコメントなども参考にしながら考察してみる。
コメントの中にもあるが、やはり気になるのは「プログラマを扱える経営者が少ない」「プログラマでマネージメントをやりたがる人が少ない」そして「プログラマの能力はピンキリである」ということ。
企業経営において情報システムの重要性が大きくなった昨今でも、多くの日本の経営者にとってはその部分がブラックボックスになっていることが多く、どれだけの投資でどれだけの価値を回収できるのかを判断することができない。その上、マネージメントをやりたがるプログラマが少ないので、IT投資(もちろん、プログラマの人件費を含む)の判断をできる人材が育たず、正当にプログラマが評価されない。
だいたいプログラマやSEの単価は1人月(1人が1ヶ月働いた場合)で80万~120万円程度である。低価格をウリにしている学生ベンチャーとかでもせいぜい50万円くらいだろう。それにも関わらず、プログラマの能力による生産性の格差というのは非常に大きい。人月単価の差は学生プログラマと大手ソフトウェアベンダー社員でも2倍ちょっとだが、生産性はおそらく10倍以上違う。これが現状。
給料を払う経営者側から見れば、超スーパープログラマでも雑魚プログラマでも単価120万円であり、大きな違いはない。スーパープログラマを評価できるマネージャもいないし、評価の仕組みもない。こういう環境下では、どんなにプログラミングが好きな人であっても、プロジェクトマネージメント能力を身につけて“コードを書く”という行為から逃げたがるのも無理はない気がする。
よく言われる“プログラマ35歳定年説”って、体力的な衰えとかではなく、結局こういう企業体質や社会体質によるところが大きいんだろうな。
2008年8月27日水曜日
2008年8月26日火曜日
プログラミング能力をつけるための高速道路の話
モバキッズの田村取締役が非常に興味深い日記を書いているので、紹介もかねて僕なりの意見を書いてみる。
Google Bloggerはトラックバックを送信できないという謎の仕様、、、黙ってたら田村さんに読んでもらえないので、コメント欄にURL貼っつけときます。>田村さん
プログラミング能力をつけるための高速道路を造りたいという話
まず、このエントリに対して僕ははてなブックマークで以下のようなコメントをした。
高速道路はすでにできつつあると思う。完成していると思っている人もいるだろう。その高速道路が機能していない(ように見える)のは、そこを走っている人が他の学習分野に比べて相対的に少ないからではないか。給与や待遇、社会的地位の低さ、3Kに代表されるイメージの悪さのため、走りたいと思う人が少ないのだ。
だから、僕の意見としては、むしろ高速道路の先をどう魅力的に見せるかだと思う。
高速道路の先は大渋滞かも知れないが、その先にモチベーションをかきたてられる魅力的な何かがあれば高く険しい道でも、けものみちでも走れると思う。大渋滞の先に何も魅力的なものがないからこそ、高速道路にものる気にならない。
なぜ、「高速道路にのる気にならない」のかについては、大きく以下の2点があると思う。あえて、文系プログラマを自称する田村さんの観点でなく、高専出身である僕の経験から考察してみた。
(1) “サイエンスとしてプログラミング”と“ビジネスとしてプログラミング”の乖離
ビジネスの醍醐味でも書いたが、高専や大学で学ぶコンピュータサイエンスの一環としてのプログラミングとビジネスとして行うプログラミングはまったく違う。
コンピュータサイエンスで必ず学ぶバブルソートやクイックソート、二分探索法、スタックやキュー、ヒープなどは実践の場ではまず間違いなくライブラリが用意されていて自分で実装することはないし、ビジネスの場で必要なデバッグの方法やコーディング規約の作成ノウハウ、クラッキング手法とそれに対抗するためのセキュリティ知識などは大学では詳しくは教わらない。
このような両者間のギャップのせいで「プログラマはダメだ、おもしろくない」と感じてその道を選択肢から外す人を数多く見てきた。サイエンスとビジネス、どちらに魅力を感じるかは人によると思うので、どちらかを強くアピールするべきだという話ではない。「大学でもっと実践的なプログラミング手法を教えればプログラマ人口は増えるか?」という問に関する答えは明らかにNOである。
そもそも、世の中で一般的に理系に分類されるコンピュータサイエンス(学校によって名称は違うと思うが、情報工学とか電子情報学など)を専攻しているような学生は、ある程度以上の数学の素養と、あらゆる事象を論理的に構造化することへの興味を持っているはずである。そういう学生に対して、体系化された情報理論や各種のアルゴリズムなどを教えることは、決して非合理なことではなく、モチベーションを一定に保てるという意味では非常にいいことだと思う。問題はそういう学生が卒業後にその知識を生かせるような職が圧倒的に少ない、ということである。
いや、絶対数が少ないというより、他の仕事内容に埋もれてわかりづらいというほうが正確だろうか。大学で学ぶような理論的な部分は、大抵の場合、その製品やサービスのコア部分であることが多く、簡単に外部の人間が知れるものではない。比較的、情報として入ってきやすいのは、そのコア部分をとりまく日々の保守・運用や膨大な数のデバッグ、コスト算定、プロジェクト管理などである。
これが、1つ目の高速道路にのらない理由。こういうコンピュータサイエンスの理論は好きだが、ビジネスとしてプログラミングをすることをあきらめる人というのは、大学の教授になったり、まったく関係ない職種に転職したりする。
ここまで書いて疲れてしまった。長くなってしまったし、続きは次回に。
Google Bloggerはトラックバックを送信できないという謎の仕様、、、黙ってたら田村さんに読んでもらえないので、コメント欄にURL貼っつけときます。>田村さん
プログラミング能力をつけるための高速道路を造りたいという話
まず、このエントリに対して僕ははてなブックマークで以下のようなコメントをした。
同意。が、日本ではプログラマの地位が相変わらず低いのも事実。高速道路の先(マネージメント階級とはまったく別のエンジニアとしてのキャリア)も用意できたらいいなー。
高速道路はすでにできつつあると思う。完成していると思っている人もいるだろう。その高速道路が機能していない(ように見える)のは、そこを走っている人が他の学習分野に比べて相対的に少ないからではないか。給与や待遇、社会的地位の低さ、3Kに代表されるイメージの悪さのため、走りたいと思う人が少ないのだ。
だから、僕の意見としては、むしろ高速道路の先をどう魅力的に見せるかだと思う。
高速道路の先は大渋滞かも知れないが、その先にモチベーションをかきたてられる魅力的な何かがあれば高く険しい道でも、けものみちでも走れると思う。大渋滞の先に何も魅力的なものがないからこそ、高速道路にものる気にならない。
なぜ、「高速道路にのる気にならない」のかについては、大きく以下の2点があると思う。あえて、文系プログラマを自称する田村さんの観点でなく、高専出身である僕の経験から考察してみた。
(1) “サイエンスとしてプログラミング”と“ビジネスとしてプログラミング”の乖離
ビジネスの醍醐味でも書いたが、高専や大学で学ぶコンピュータサイエンスの一環としてのプログラミングとビジネスとして行うプログラミングはまったく違う。
コンピュータサイエンスで必ず学ぶバブルソートやクイックソート、二分探索法、スタックやキュー、ヒープなどは実践の場ではまず間違いなくライブラリが用意されていて自分で実装することはないし、ビジネスの場で必要なデバッグの方法やコーディング規約の作成ノウハウ、クラッキング手法とそれに対抗するためのセキュリティ知識などは大学では詳しくは教わらない。
このような両者間のギャップのせいで「プログラマはダメだ、おもしろくない」と感じてその道を選択肢から外す人を数多く見てきた。サイエンスとビジネス、どちらに魅力を感じるかは人によると思うので、どちらかを強くアピールするべきだという話ではない。「大学でもっと実践的なプログラミング手法を教えればプログラマ人口は増えるか?」という問に関する答えは明らかにNOである。
そもそも、世の中で一般的に理系に分類されるコンピュータサイエンス(学校によって名称は違うと思うが、情報工学とか電子情報学など)を専攻しているような学生は、ある程度以上の数学の素養と、あらゆる事象を論理的に構造化することへの興味を持っているはずである。そういう学生に対して、体系化された情報理論や各種のアルゴリズムなどを教えることは、決して非合理なことではなく、モチベーションを一定に保てるという意味では非常にいいことだと思う。問題はそういう学生が卒業後にその知識を生かせるような職が圧倒的に少ない、ということである。
いや、絶対数が少ないというより、他の仕事内容に埋もれてわかりづらいというほうが正確だろうか。大学で学ぶような理論的な部分は、大抵の場合、その製品やサービスのコア部分であることが多く、簡単に外部の人間が知れるものではない。比較的、情報として入ってきやすいのは、そのコア部分をとりまく日々の保守・運用や膨大な数のデバッグ、コスト算定、プロジェクト管理などである。
これが、1つ目の高速道路にのらない理由。こういうコンピュータサイエンスの理論は好きだが、ビジネスとしてプログラミングをすることをあきらめる人というのは、大学の教授になったり、まったく関係ない職種に転職したりする。
ここまで書いて疲れてしまった。長くなってしまったし、続きは次回に。
2008年7月16日水曜日
知識ゼロ?
知人のブログで紹介されていたエントリ。
ブログの内容自体はプログラマやSEでない人にはわからないだろう。
てか、僕も業務系システムはさっぱりなので、ぶっちゃけよくわからない。
銀行の言語事情
ただ、内容はわからずともコメント欄に注目してもらいたい。
この質問に対する回答の一部を抜粋。
うん、非常に同意してしまった。まったくもってその通り。
> でも、ここ最近これだけインターネットで色々できる時代に「知識ゼロ」と胸を張ってちゃいかんとも思います。
「やる気だけは誰にも負けません」という言葉を発する人はおそらく今でも多いのだろう。でも、これは、やる気だけではどうしようもない、学べる環境がない、だから学べる環境を下さい、という意味に他ならない。
ここで指摘されているように、現在ではよほどクローズドな分野における知識でない限りはインターネット経由である程度手にはいる。それこそ、IT分野で手にはいらない情報なんて軍事関連の通信技術くらいなのではないだろうか?「やる気があるなら結果で示せ」と言わんばかりに情報があふれている。
僕のまわりを見渡す限り、こういう意識をきちんと持っている人はまだ少ない。与えられた情報をたくみに使い、到達するべき既知の結果を目指して、ただただその間のプロセスをつくりあげる。
日本の教育制度に問題があると言えなくもないが、それにしても危機感を覚えざるを得ない。
※
ちなみにこのエントリを紹介していた知人のブログはこちら。
なかなか鋭いこと言ってるので、読んでみて下さい。
ブログの内容自体はプログラマやSEでない人にはわからないだろう。
てか、僕も業務系システムはさっぱりなので、ぶっちゃけよくわからない。
銀行の言語事情
ただ、内容はわからずともコメント欄に注目してもらいたい。
はじめまして、こんばんわ。
今現在就活をしています。
例えばですけど、文系で知識ゼロの私が
ttp://www.future.co.jp/
こういった企業に入って、プロジェクトに関わって仕事を
進めていくことは無謀なのでしょうか?
こと採用市場では文系の人で知識なくても、こういった企業に
入社することは可能ですが、その道を究めたりするには数学が
必要だから一定レベルまでにしか至らないだとか、
そういったことはありますでしょうか?
この質問に対する回答の一部を抜粋。
でも、ここ最近これだけインターネットで色々できる時代に「知識ゼロ」と胸を張ってちゃいかんとも思います。
僕も文系出身ですが、知識が0でなかったことが大きなアドバンテージでしたよ。
その会社がどうして例に挙がったかはわかりませんが、コンサル系にいきなり入ろうというのは似非コンサル目指しているわけでなければ止めて置いた方が良いと思います。僕らのためにも。ちゃんと教育が整っているならいいかも知れませんね。
うん、非常に同意してしまった。まったくもってその通り。
> でも、ここ最近これだけインターネットで色々できる時代に「知識ゼロ」と胸を張ってちゃいかんとも思います。
「やる気だけは誰にも負けません」という言葉を発する人はおそらく今でも多いのだろう。でも、これは、やる気だけではどうしようもない、学べる環境がない、だから学べる環境を下さい、という意味に他ならない。
ここで指摘されているように、現在ではよほどクローズドな分野における知識でない限りはインターネット経由である程度手にはいる。それこそ、IT分野で手にはいらない情報なんて軍事関連の通信技術くらいなのではないだろうか?「やる気があるなら結果で示せ」と言わんばかりに情報があふれている。
僕のまわりを見渡す限り、こういう意識をきちんと持っている人はまだ少ない。与えられた情報をたくみに使い、到達するべき既知の結果を目指して、ただただその間のプロセスをつくりあげる。
日本の教育制度に問題があると言えなくもないが、それにしても危機感を覚えざるを得ない。
※
ちなみにこのエントリを紹介していた知人のブログはこちら。
なかなか鋭いこと言ってるので、読んでみて下さい。
2008年7月13日日曜日
「できないこと」の重要性
システムの開発でも、会社の経営でも、学生団体の運営でも
はたまた一個人のキャリア形成や就職活動においても
「できないこと」を定義することは極めて重要だとつくづく感じる
ヒトはよく、何かの意思決定をするとき
「自分(たち)は何をするべきか・やりたいか」を考える
その結果、あれもやりたい・これもやるべきだ、という混沌に陥って
結局、何がやりたいのかわからなくことは多々ある
だからこそ、「できないこと」「やりたくないこと」をきちんと定義する
システム開発では、“実装しない”機能はあらかじめ排除するべきだし
会社の経営では、“アウトソーシングする”事業やタスク、“参入しない”市場を明確にするべきである
企業よりもリソースが限られている学生団体ならなおのことそうだ
就職活動でも、“やりたくない”仕事をあらかじめ考えておく
これは「できること」を考えるよりはるかに難しい
ある部分を棄てて、狭い分野に特化していくということは
リスクも高くなるし、そう簡単に結論を出せることではない
経験上、頭のいい人ほど、こういう意思決定は苦手なようで
拡張性、多角化、汎用性、ゼネラリスト…など
耳障りのいいフレーズにだまされる
こういう思考は、世の中のことを何も知らなかった小学校や中学校のころのほうができていたな…
もっと素直に「○○はやりたくない」と言えるようになりたいものだ
はたまた一個人のキャリア形成や就職活動においても
「できないこと」を定義することは極めて重要だとつくづく感じる
ヒトはよく、何かの意思決定をするとき
「自分(たち)は何をするべきか・やりたいか」を考える
その結果、あれもやりたい・これもやるべきだ、という混沌に陥って
結局、何がやりたいのかわからなくことは多々ある
だからこそ、「できないこと」「やりたくないこと」をきちんと定義する
システム開発では、“実装しない”機能はあらかじめ排除するべきだし
会社の経営では、“アウトソーシングする”事業やタスク、“参入しない”市場を明確にするべきである
企業よりもリソースが限られている学生団体ならなおのことそうだ
就職活動でも、“やりたくない”仕事をあらかじめ考えておく
これは「できること」を考えるよりはるかに難しい
ある部分を棄てて、狭い分野に特化していくということは
リスクも高くなるし、そう簡単に結論を出せることではない
経験上、頭のいい人ほど、こういう意思決定は苦手なようで
拡張性、多角化、汎用性、ゼネラリスト…など
耳障りのいいフレーズにだまされる
こういう思考は、世の中のことを何も知らなかった小学校や中学校のころのほうができていたな…
もっと素直に「○○はやりたくない」と言えるようになりたいものだ
2008年7月9日水曜日
多様性のあるコミュニティ
特定の分野における専門性や価値観だけでなく
様々なアイデンティティをもった人たちが一緒になることで
高い成果をあげることができる
昨年、僕たちが企画・運営したKING2007の活動理念であり、
株式会社istの企業理念でもある
-----
日曜日、中学時代の友人2人と久しぶりに会い、一緒に食事をした
1人は東大のロースクールの学生で、先日のエントリにある中学時代の“あいつ”
もう1人は九州工業大学で都市計画や景観デザインを学んでいる学部4年生
法律と土木とIT
まったくもってリンクしそうにない3つだが、話をしてみるとなかなかおもしろい発見がある
同じ内容の話をしてもそれぞれ見解が違うし、異なる分野同士がどういうところでリンクしているのかということが、こういう場であらためてわかったりする
まさに世の中の縮図
大学に進学してしまうと同じ学部学科の友人とつきあうことが多くなる
サークルや学生団体に所属したとしても、それはある目的のためにコミュニティを形成しているのだから、本質的なビジョン・価値観というのは似ているのが普通である
でも、中学や高校の友人は、そういうのが一切ない、多様なコミュニティだ
このつながりを大事にしよう
様々なアイデンティティをもった人たちが一緒になることで
高い成果をあげることができる
昨年、僕たちが企画・運営したKING2007の活動理念であり、
株式会社istの企業理念でもある
-----
日曜日、中学時代の友人2人と久しぶりに会い、一緒に食事をした
1人は東大のロースクールの学生で、先日のエントリにある中学時代の“あいつ”
もう1人は九州工業大学で都市計画や景観デザインを学んでいる学部4年生
法律と土木とIT
まったくもってリンクしそうにない3つだが、話をしてみるとなかなかおもしろい発見がある
同じ内容の話をしてもそれぞれ見解が違うし、異なる分野同士がどういうところでリンクしているのかということが、こういう場であらためてわかったりする
まさに世の中の縮図
大学に進学してしまうと同じ学部学科の友人とつきあうことが多くなる
サークルや学生団体に所属したとしても、それはある目的のためにコミュニティを形成しているのだから、本質的なビジョン・価値観というのは似ているのが普通である
でも、中学や高校の友人は、そういうのが一切ない、多様なコミュニティだ
このつながりを大事にしよう
2008年7月5日土曜日
多角化企業
知人に将来の夢とかビジョンとか聞かれると
職業とか業界とかにはあまり触れず
僕はよく
最強のゼネラリスト とか
No.2のNo.1 とか
“0から1を創る”人ではなく、“1を10に伸ばす”人 とか
リーダではなくマネージャ とか
安定感のある参謀 とか
そういう返答をよくする
これはこれで本当だし、嘘をついているつもりはないけど
先日、ふと「本当にそうなのか?」と思うようになった
ただのトラウマなのではないか、と。
僕が小学生のころ、同じ学年に成績のいいコがいた
小学校で勉強することなんて簡単だし、僕だってテストの結果はいつもよかったけど、そのコにだけは何か劣等感のようなものを感じていた。
そのコは私立中学に進学したため、中学は別々になったのだけど
中学にはまた別にめちゃくちゃ成績のいいコがいて、
このコにはかなわないなー、と思い知らされた。
かたや地元の進学校、かたや工業系の高等専門学校に進学し、道を違えたものの、高専でも「サイエンスの世界ではこいつにはかなわない」と実感するような人に出会ってしまった
小学校から高専低学年までは、ゴールキーパーとしてサッカー部に所属していたが、1人しかピッチにたてないポジションであるだけに競争も熾烈で、中高ではついにレギュラーを獲得することはなかった。
足業がまったくダメだったわけでもないので、中学時代はフィールドプレーヤーとして試合に出たが、それでも一番うまかったわけでもないので、いわゆる“司令塔”としてプレイすることはなかった。
私立中学に進学しなかったのは(家庭の事情もあるが)
「あいつと戦うの大変だろうな。」
と思ったからだし
進学高校でなく、高専を選んだのも、
「あんなコと一緒に大学受験受けるのか、勝てないな。大学には行かず就職しよう。」
と思ったからだし、
大学に編入学して、システム創成学科を選んだのも
「サイエンスの世界にはあんな奴がごろごろいるのか。じゃあ、自分は研究者でなく、もっとプラクティカルな世界でがんばろう。」
と思ったからである。
リンクアンドモチベーションの小笹社長が提唱する自分株式会社(アイカンパニー)という考え方に基づくと、
あらゆる市場に参入し、競合と真っ向から戦わず、差別化を図りながら市場を転々とした結果できた超多角化企業
なのかな、という印象を受ける。
こういうところに価値観の根源ってあるんだよね。
自分の過去と価値観の形成を結びつけるのって案外おもしろい。
追記:
タイトルにつられた方、ごめんなさいww
職業とか業界とかにはあまり触れず
僕はよく
最強のゼネラリスト とか
No.2のNo.1 とか
“0から1を創る”人ではなく、“1を10に伸ばす”人 とか
リーダではなくマネージャ とか
安定感のある参謀 とか
そういう返答をよくする
これはこれで本当だし、嘘をついているつもりはないけど
先日、ふと「本当にそうなのか?」と思うようになった
ただのトラウマなのではないか、と。
僕が小学生のころ、同じ学年に成績のいいコがいた
小学校で勉強することなんて簡単だし、僕だってテストの結果はいつもよかったけど、そのコにだけは何か劣等感のようなものを感じていた。
そのコは私立中学に進学したため、中学は別々になったのだけど
中学にはまた別にめちゃくちゃ成績のいいコがいて、
このコにはかなわないなー、と思い知らされた。
かたや地元の進学校、かたや工業系の高等専門学校に進学し、道を違えたものの、高専でも「サイエンスの世界ではこいつにはかなわない」と実感するような人に出会ってしまった
小学校から高専低学年までは、ゴールキーパーとしてサッカー部に所属していたが、1人しかピッチにたてないポジションであるだけに競争も熾烈で、中高ではついにレギュラーを獲得することはなかった。
足業がまったくダメだったわけでもないので、中学時代はフィールドプレーヤーとして試合に出たが、それでも一番うまかったわけでもないので、いわゆる“司令塔”としてプレイすることはなかった。
私立中学に進学しなかったのは(家庭の事情もあるが)
「あいつと戦うの大変だろうな。」
と思ったからだし
進学高校でなく、高専を選んだのも、
「あんなコと一緒に大学受験受けるのか、勝てないな。大学には行かず就職しよう。」
と思ったからだし、
大学に編入学して、システム創成学科を選んだのも
「サイエンスの世界にはあんな奴がごろごろいるのか。じゃあ、自分は研究者でなく、もっとプラクティカルな世界でがんばろう。」
と思ったからである。
リンクアンドモチベーションの小笹社長が提唱する自分株式会社(アイカンパニー)という考え方に基づくと、
あらゆる市場に参入し、競合と真っ向から戦わず、差別化を図りながら市場を転々とした結果できた超多角化企業
なのかな、という印象を受ける。
こういうところに価値観の根源ってあるんだよね。
自分の過去と価値観の形成を結びつけるのって案外おもしろい。
追記:
タイトルにつられた方、ごめんなさいww
2008年6月13日金曜日
運と実力
小飼弾氏のブログエントリ
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51059326.html
-----
そう。成果というのは、運を引数とする関数の戻り値なのだ。
実力とはモノ(what you have)ではない、機能(what you do)なのだ。
-----
-----
実のところ、運そのものには幸運も悲運もないはずだ。
それが幸なのか悲なのかは、それをどう感じ、どう用いるかが決
まって初めて決まる。この解釈と対処の余地がある限り、実力、
いや自由意志(will)は確かに存在する。ヨットでさえ、風に逆ら
って進むことが出来るのだ。それよりはるかにパラメターが多い
人生ともなれば、工夫の余地はそれこそ一生かけても終らないほ
どあるはずではないか。
-----
確かにそう思う。
ここでいう“運”とはまぐれや希望的観測のことだけを
指すわけではない。
偶発的外部環境とでもいえばいいのだろうか
予測が困難で、本人のコントロール下にない事象すべてを指す。
引用にもある通り、
あなたが信頼する友人と出会えたことも
今、志望大学に合格し、普通に通えていることも
日本という国に生まれてきたこも
すべては“運”という偶然の産物なのだ
実力とは、その偶発的事実をどうコントロールし
どうやって成果につなげるかという“機能”でしかない。
“実力”とは定数でもなく、独立変数でもない。
“運”というパラメータによって決まる関数であり
それ自体は絶対値をもたない。
-----
人は、
自分の出した成果に満足したときは、自分の実力だと言い、
満足のいく成果を出せなかったとき、運のせいにする。
でも、そうじゃない。
自分の成果に満足したとき、“運”に感謝しよう。
どんなチャンスをものにしたのか、誰が助けてくれたのか。
満足のいく成果を出せなかったとき、“実力”に着目しよう。
自分の実力関数はどんな曲線を描くのか、どんな“運”なら生かせたのか。
僕は自分に相応の自信を持っているし、
それなりの成果も出してきたつもりである
でも、これまで巡り合ったたくさんの“運”に感謝している
大分県の片田舎にある公立中学で、のちの親友に出会えたことも
大分高専で生涯の恩師となるだろう人と
生涯のライバルになるだろう人に出会えたことも
IBM Business Collegeで多くのやさしい先輩たちに
かわいがってもらったことも
KINGでたくさんの意義深い経験をしたことも
そして、今、istにいることも
すべて偶然の産物であり、決して僕の実力ではない
これを生かすも殺すも僕次第
実力()をハックしなければいけない
※
高い成果をあげると、より多様な“運”に
巡り合える可能性が高いという意味で
成果が運にフィードバックされるような気がする。
実力()をラプラス変換して、フィードバック制御に当てはめてみると
おもしろいかも。まあ、それはまた後日。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51059326.html
-----
そう。成果というのは、運を引数とする関数の戻り値なのだ。
実力とはモノ(what you have)ではない、機能(what you do)なのだ。
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実のところ、運そのものには幸運も悲運もないはずだ。
それが幸なのか悲なのかは、それをどう感じ、どう用いるかが決
まって初めて決まる。この解釈と対処の余地がある限り、実力、
いや自由意志(will)は確かに存在する。ヨットでさえ、風に逆ら
って進むことが出来るのだ。それよりはるかにパラメターが多い
人生ともなれば、工夫の余地はそれこそ一生かけても終らないほ
どあるはずではないか。
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確かにそう思う。
ここでいう“運”とはまぐれや希望的観測のことだけを
指すわけではない。
偶発的外部環境とでもいえばいいのだろうか
予測が困難で、本人のコントロール下にない事象すべてを指す。
引用にもある通り、
あなたが信頼する友人と出会えたことも
今、志望大学に合格し、普通に通えていることも
日本という国に生まれてきたこも
すべては“運”という偶然の産物なのだ
実力とは、その偶発的事実をどうコントロールし
どうやって成果につなげるかという“機能”でしかない。
“実力”とは定数でもなく、独立変数でもない。
“運”というパラメータによって決まる関数であり
それ自体は絶対値をもたない。
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人は、
自分の出した成果に満足したときは、自分の実力だと言い、
満足のいく成果を出せなかったとき、運のせいにする。
でも、そうじゃない。
自分の成果に満足したとき、“運”に感謝しよう。
どんなチャンスをものにしたのか、誰が助けてくれたのか。
満足のいく成果を出せなかったとき、“実力”に着目しよう。
自分の実力関数はどんな曲線を描くのか、どんな“運”なら生かせたのか。
僕は自分に相応の自信を持っているし、
それなりの成果も出してきたつもりである
でも、これまで巡り合ったたくさんの“運”に感謝している
大分県の片田舎にある公立中学で、のちの親友に出会えたことも
大分高専で生涯の恩師となるだろう人と
生涯のライバルになるだろう人に出会えたことも
IBM Business Collegeで多くのやさしい先輩たちに
かわいがってもらったことも
KINGでたくさんの意義深い経験をしたことも
そして、今、istにいることも
すべて偶然の産物であり、決して僕の実力ではない
これを生かすも殺すも僕次第
実力()をハックしなければいけない
※
高い成果をあげると、より多様な“運”に
巡り合える可能性が高いという意味で
成果が運にフィードバックされるような気がする。
実力()をラプラス変換して、フィードバック制御に当てはめてみると
おもしろいかも。まあ、それはまた後日。
2008年5月31日土曜日
テトリスと経営
最近、高専時代を懐かしむことが多く
ふとしたきっかけで、とある友人の日記をさかのぼってみた
高専時代に切磋琢磨したその友人の日記の中に
こんなおもしろい話があった(勝手に掲載してごめんね > 本人)
-----
1つだけ、ここに書ける面白い話が、俺とすえの思考パターンの違いをテトリスに例えた話。先生曰く
すえ→1段ずつ綺麗に消していく。途中に変な穴ができることはゆるさない。
俺→常に4段消しを狙っていく。多少変な穴が出来ても、長い棒をいれて一気に状況を改善してしまう。
-----
うーん、これ最初に読んだときも納得したけど
あらためて読んでも、非常に的を射た表現だ
高専在学中も、大学に編入学しても、会社を立ち上げてからも
この思考パターンだけはまったく変わってない気がする
もう少し、2段消し・3段消しを覚えて
効率よく仕事こなせるようにならないとね…
-----
会社はじめてから思うのは
経営者ってこれが両方できないといけない、ということ
1段ずつ綺麗に消していくのは
リスクは低いが、大きくあたることはないし
4段消しばかり狙っていると
なかなか長い棒が来なかったりする
多少変な穴ができても、それを覚悟で4段消しを狙うことも必要だし
長い棒が来ない(市場に好機がない)と判断した時点で2段・3段くらい消してしまうという判断も必要
経営って大変だなー
ふとしたきっかけで、とある友人の日記をさかのぼってみた
高専時代に切磋琢磨したその友人の日記の中に
こんなおもしろい話があった(勝手に掲載してごめんね > 本人)
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1つだけ、ここに書ける面白い話が、俺とすえの思考パターンの違いをテトリスに例えた話。先生曰く
すえ→1段ずつ綺麗に消していく。途中に変な穴ができることはゆるさない。
俺→常に4段消しを狙っていく。多少変な穴が出来ても、長い棒をいれて一気に状況を改善してしまう。
-----
うーん、これ最初に読んだときも納得したけど
あらためて読んでも、非常に的を射た表現だ
高専在学中も、大学に編入学しても、会社を立ち上げてからも
この思考パターンだけはまったく変わってない気がする
もう少し、2段消し・3段消しを覚えて
効率よく仕事こなせるようにならないとね…
-----
会社はじめてから思うのは
経営者ってこれが両方できないといけない、ということ
1段ずつ綺麗に消していくのは
リスクは低いが、大きくあたることはないし
4段消しばかり狙っていると
なかなか長い棒が来なかったりする
多少変な穴ができても、それを覚悟で4段消しを狙うことも必要だし
長い棒が来ない(市場に好機がない)と判断した時点で2段・3段くらい消してしまうという判断も必要
経営って大変だなー
2008年5月27日火曜日
エンジニアリングとサイエンス
漠然とした問題意識が、具体的な現状把握に繋がった気がする
ずっと考えてきたことの答えに、少しだけ近づいた気がする
中卒のオレが学歴について語ってみる
上記リンクはアルファブロガーの小飼弾氏のブログエントリである
僕が、このエントリで“なくしたい”と
書いた壁のひとつに、「ビジネスとサイエンスの壁」がある
技術的にはすばらしい研究成果が、
エンジニアや経営者に受け入れられず
ビジネスとしての利益に繋がらない例はたくさんある
僕はそれをいつか解消したいと思っている
ただ、
-----
ソフトウェアエンジニアというものはありません。
少なくともまだないです。どういうことかというと、
これ以上削れないところまで削るのがエンジニアリング。
これ以上削れないところまで削るということは、
どこまで削るとそれが壊れてしまうかというのが
わかっていることです。
まだソフトウェアに関しては我々はそのレベルには
達してないんです。
-----
確かにそうだ。
ここでは簡単のため、
ビジネスとエンジニアリングを同義(※1)だとすると
少なくともソフトウェアの世界では、
壁があるのではなく、片方の概念自体が存在しないのだ。
ビジネス(エンジニアリング)とサイエンスは、
片方が進歩すれば、もう片方がそれに追いつく形で進歩する、
いわば車の両輪のように進んでいくのが理想であるが、
片方の車輪が異常な回転数で回っていたら、
うまく進まない(※2)のは当然といえる
(※1)
“ビジネス”のほうが広義で、“エンジニアリング”は
リソースのひとつと捉えるのが普通。
(※2)
厳密には進んでいるのだろうけど、
一見するとそうは感じられない。
次々に世に出されるソフトウェアサービスと比較すると
小難しい数学的な理論や言語理論の進展は遅い。
というか、ほぼないと言ってもいい。
#ハードウェアの進歩は、いまだにムーアの法則に則っているが。。
でも、大学ではそういう小難しい理論しか学べない。
世の中の動向が早すぎるために、
それを体系化してカリキュラムに組み込むには
大学という組織では無理があるのだ
学生も4年間(あるいは6年間)がんばって勉強しても、
卒業する頃にはまったく違った環境の中に
身をおかなければいけない。
大学では
デバッグのやり方やテストのやり方を教えてくれないし
プロジェクトの進め方やチームでの開発なども経験できない
設計に関しても、極めて理論的な話には触れるが、
それを実践することはない
業務で扱うような数千行~数万行のコーディングをする経験もできず、せいぜい数百行のサンプルプログラムしか書かないから
“仕事でソフトウェアを扱う”というイメージがわかない
これを是正するためには、
サイエンスの領域に、
エンジニアリングの最新動向を取り入れるしかないような気がする
ソフトウェア業界の成長を止めろといっても無理だし、
そうすることにメリットがない
“ソフトウェアエンジニアリング”が体系化されるのは、
ずいぶん先だろうから、それを待つわけにもいかない
エンジニアリング側の車輪の回転数が大きすぎるのならば
サイエンス側の車輪も同じ回転数で回せばいい
そうすれば、両者間の乖離はなくなるのではないか
大学に戻って、研究をする上、目標とすることが今決まった
ずっと考えてきたことの答えに、少しだけ近づいた気がする
中卒のオレが学歴について語ってみる
上記リンクはアルファブロガーの小飼弾氏のブログエントリである
僕が、このエントリで“なくしたい”と
書いた壁のひとつに、「ビジネスとサイエンスの壁」がある
技術的にはすばらしい研究成果が、
エンジニアや経営者に受け入れられず
ビジネスとしての利益に繋がらない例はたくさんある
僕はそれをいつか解消したいと思っている
ただ、
-----
ソフトウェアエンジニアというものはありません。
少なくともまだないです。どういうことかというと、
これ以上削れないところまで削るのがエンジニアリング。
これ以上削れないところまで削るということは、
どこまで削るとそれが壊れてしまうかというのが
わかっていることです。
まだソフトウェアに関しては我々はそのレベルには
達してないんです。
-----
確かにそうだ。
ここでは簡単のため、
ビジネスとエンジニアリングを同義(※1)だとすると
少なくともソフトウェアの世界では、
壁があるのではなく、片方の概念自体が存在しないのだ。
ビジネス(エンジニアリング)とサイエンスは、
片方が進歩すれば、もう片方がそれに追いつく形で進歩する、
いわば車の両輪のように進んでいくのが理想であるが、
片方の車輪が異常な回転数で回っていたら、
うまく進まない(※2)のは当然といえる
(※1)
“ビジネス”のほうが広義で、“エンジニアリング”は
リソースのひとつと捉えるのが普通。
(※2)
厳密には進んでいるのだろうけど、
一見するとそうは感じられない。
次々に世に出されるソフトウェアサービスと比較すると
小難しい数学的な理論や言語理論の進展は遅い。
というか、ほぼないと言ってもいい。
#ハードウェアの進歩は、いまだにムーアの法則に則っているが。。
でも、大学ではそういう小難しい理論しか学べない。
世の中の動向が早すぎるために、
それを体系化してカリキュラムに組み込むには
大学という組織では無理があるのだ
学生も4年間(あるいは6年間)がんばって勉強しても、
卒業する頃にはまったく違った環境の中に
身をおかなければいけない。
大学では
デバッグのやり方やテストのやり方を教えてくれないし
プロジェクトの進め方やチームでの開発なども経験できない
設計に関しても、極めて理論的な話には触れるが、
それを実践することはない
業務で扱うような数千行~数万行のコーディングをする経験もできず、せいぜい数百行のサンプルプログラムしか書かないから
“仕事でソフトウェアを扱う”というイメージがわかない
これを是正するためには、
サイエンスの領域に、
エンジニアリングの最新動向を取り入れるしかないような気がする
ソフトウェア業界の成長を止めろといっても無理だし、
そうすることにメリットがない
“ソフトウェアエンジニアリング”が体系化されるのは、
ずいぶん先だろうから、それを待つわけにもいかない
エンジニアリング側の車輪の回転数が大きすぎるのならば
サイエンス側の車輪も同じ回転数で回せばいい
そうすれば、両者間の乖離はなくなるのではないか
大学に戻って、研究をする上、目標とすることが今決まった
2008年5月12日月曜日
相川さんと渡辺さん
人材事業をやっていると、
どんな人にどんな職業が向いているか
を考えることが多い。
もちろん、最終的には本人のやる気次第なのだが、
それでも性格による向き不向きはあるものだ。
たとえば、コンサルタント。
某外資系コンサルティングファームで
マネージャだかシニアマネージャだかまで経験した人の話によると
コンサルタント、特に戦略系に求められるのは、
自分なりの仮説をすばやく構築する能力
であるとのこと。
就職面接でありそうなこんな質問。
「MicrosoftがYahoo買収から手を引いたことについて
どう思いますか?」
「あなたがMicrosoftのCEOなら同じことをしましたか?」
10秒以内に回答できた人はコンサルに向いている可能性が高い。
逆に、時間をかけた挙句、ありきたりな回答しかできなかったり、
簡単に「わかりません」と言うような人は
限られた情報から仮設を構築する能力が乏しいと言える。
#残念ながら、僕は後者です。泣
例の質問には、そもそも正しい答えなどないのだから、
マスコミがとりあげている表層的で
限られた情報をどのように分類・整理し、
自分なりの仮説を構築できるかが重要というわけだ。
では、僕が現在仕事としているエンジニアはどうだろう。
こちらはまったく逆で、思慮深く、
考察に考察に重ねて発言する人が望ましいらしい。
業務システムで扱う情報は
その企業の機密情報である場合が多く、
コンシューマ向けのサービスでは
会員の個人情報を管理しなければいけないため
あらゆるセキュリティリスクに対して気を配らなければならない。
また、ITエンジニアに限らなければ、人命を左右することさえある。
#設計ミスで、自動車の車輪が
#走行中にはずれる事態を想像してもらいたい。
このように、あらゆる事態に気を配らなければいけないエンジニアは
不完全な情報の中で不確実な回答をしてはいけないのである
“仮説”とは、
コンサルタントにとっては、
ゴールに近づくための強力なツールであるが
エンジニアにとっては、
他に配慮しなければいけない部分を
見えにくくする不完全情報でしかない。
それとは別で、次のような話がある。
以下は、DeNA南場社長のブログからの抜粋である。
http://ameblo.jp/nambadena/entry-10069026980.html
-----
アイカワとかアイザワとか。五十音順でもアルファベットでも
最前列の彼ら彼女らは、常に何事も最初にあてられる。十分に
思案する時間などなく、突然身に降りかかった難題、それは
自己紹介だったり質問への回答だったり、運動や作業だったり、
ありとあらゆる類のものだが、それらを全員の注目を浴びながら、
圧倒的な準備不足の中、なんとかまともに切り抜けて来た連中だ。
そして次の難題がいつ降りかかってくるのか、常にその
プレッシャーと戦いながらまともな大人になって来た。
-----
-----
ワタナベが悪いわけではない。もうヤ行とかワ行になると、すべて
前に言われていて、よほど変わったことを言ったりしたりしないと
目立たないという宿命の中、必死で自己主張して来たわけだ。
彼らにはひと工夫のクセがついてる。
-----
僕は占いや科学的な根拠のない相性診断などは信じないのだが
これには結構納得させられた。
僕のまわりでも、
出席番号の早い人は、積極的に発言するタイプが比較的多く
出席番号の遅い人は、じっくり考えてから発言するタイプが多い
先ほどの話も踏まえると
コンサルタントは、あ行やか行の人が向いていて
エンジニアは、や行やわ行の人が向いていることになる
根拠薄弱な理屈であることは明らかだが
少なくとも僕のまわりを見る限りでは、
あながち間違っているわけでもない気がする
自分のキャリアに迷っている人がいたら
ひとつの基準としてどうですか?
#僕はさ行で始まる名前を持ちながら、かなり思慮深いタイプです
#根拠のない理屈嫌いだし、ブレストとか苦手だし。
#エンジニアでよかった。
どんな人にどんな職業が向いているか
を考えることが多い。
もちろん、最終的には本人のやる気次第なのだが、
それでも性格による向き不向きはあるものだ。
たとえば、コンサルタント。
某外資系コンサルティングファームで
マネージャだかシニアマネージャだかまで経験した人の話によると
コンサルタント、特に戦略系に求められるのは、
自分なりの仮説をすばやく構築する能力
であるとのこと。
就職面接でありそうなこんな質問。
「MicrosoftがYahoo買収から手を引いたことについて
どう思いますか?」
「あなたがMicrosoftのCEOなら同じことをしましたか?」
10秒以内に回答できた人はコンサルに向いている可能性が高い。
逆に、時間をかけた挙句、ありきたりな回答しかできなかったり、
簡単に「わかりません」と言うような人は
限られた情報から仮設を構築する能力が乏しいと言える。
#残念ながら、僕は後者です。泣
例の質問には、そもそも正しい答えなどないのだから、
マスコミがとりあげている表層的で
限られた情報をどのように分類・整理し、
自分なりの仮説を構築できるかが重要というわけだ。
では、僕が現在仕事としているエンジニアはどうだろう。
こちらはまったく逆で、思慮深く、
考察に考察に重ねて発言する人が望ましいらしい。
業務システムで扱う情報は
その企業の機密情報である場合が多く、
コンシューマ向けのサービスでは
会員の個人情報を管理しなければいけないため
あらゆるセキュリティリスクに対して気を配らなければならない。
また、ITエンジニアに限らなければ、人命を左右することさえある。
#設計ミスで、自動車の車輪が
#走行中にはずれる事態を想像してもらいたい。
このように、あらゆる事態に気を配らなければいけないエンジニアは
不完全な情報の中で不確実な回答をしてはいけないのである
“仮説”とは、
コンサルタントにとっては、
ゴールに近づくための強力なツールであるが
エンジニアにとっては、
他に配慮しなければいけない部分を
見えにくくする不完全情報でしかない。
それとは別で、次のような話がある。
以下は、DeNA南場社長のブログからの抜粋である。
http://ameblo.jp/nambadena/entry-10069026980.html
-----
アイカワとかアイザワとか。五十音順でもアルファベットでも
最前列の彼ら彼女らは、常に何事も最初にあてられる。十分に
思案する時間などなく、突然身に降りかかった難題、それは
自己紹介だったり質問への回答だったり、運動や作業だったり、
ありとあらゆる類のものだが、それらを全員の注目を浴びながら、
圧倒的な準備不足の中、なんとかまともに切り抜けて来た連中だ。
そして次の難題がいつ降りかかってくるのか、常にその
プレッシャーと戦いながらまともな大人になって来た。
-----
-----
ワタナベが悪いわけではない。もうヤ行とかワ行になると、すべて
前に言われていて、よほど変わったことを言ったりしたりしないと
目立たないという宿命の中、必死で自己主張して来たわけだ。
彼らにはひと工夫のクセがついてる。
-----
僕は占いや科学的な根拠のない相性診断などは信じないのだが
これには結構納得させられた。
僕のまわりでも、
出席番号の早い人は、積極的に発言するタイプが比較的多く
出席番号の遅い人は、じっくり考えてから発言するタイプが多い
先ほどの話も踏まえると
コンサルタントは、あ行やか行の人が向いていて
エンジニアは、や行やわ行の人が向いていることになる
根拠薄弱な理屈であることは明らかだが
少なくとも僕のまわりを見る限りでは、
あながち間違っているわけでもない気がする
自分のキャリアに迷っている人がいたら
ひとつの基準としてどうですか?
#僕はさ行で始まる名前を持ちながら、かなり思慮深いタイプです
#根拠のない理屈嫌いだし、ブレストとか苦手だし。
#エンジニアでよかった。
2008年4月15日火曜日
文系と理系(2)
前回のエントリに書いた意識高い新入生
もうひとつ、気になることを言っていたので
続けてになるがご紹介。
続けてネタにしてごめんね > 本人
たぶん読んでないと思うけど
彼は「公認会計士をとりたい」と言ったあとにこう続けた
理系の人は大学で学ぶことが専門性になると思うんですけど
文系だったらそうはいかないじゃないですか
だから、絶対に在学中に資格をとりたいんです
言っている意味はわからなくもないけど
以前もブログに書いた通り、
やっぱり文系・理系という言葉は気になるし、
その両者の間にはやっぱり明確な壁はあるんだなーと感じる
こういう発言は彼からだけでなく
周囲のあちらこちらから聞こえるし
僕としては問題意識を感じざるを得ない
僕から見ると、
法律とか会計は
(別に「弁護士」や「公認会計士」でなかったとしても)
間違いなく専門性だと思うし
政治学でも哲学でも文学でも
その道を極めればそれは専門性だと思う
逆に、僕の知り合いでも
数学ができない工学部生とか
いまだにプログラミングできない高専卒業生とか
たくさんいるし、
本来大学で専門としているはずの分野と
まったく違うフィールドで生きていこうとしている人を
何人も見てきた
まあ、僕の所属する学科が工学系では珍しい
ゼネラリスト養成学科
だからなのかも知れないけどww
高専を卒業するというバリバリの理系コースを歩みながら
工学系の中では珍しい文系寄りの学科に所属し
経済学部や経営学部の多いKINGで活動するという
よくも悪くも文系と理系の間を進んできた僕の経験からすると
両者はお互いにコンプレックスを感じているように思える
いわゆる文系と呼ばれる人たちは、
理系のような専門性を持っていないことを悔しく思い
すごくうらやましく感じているような発言をするし
いわゆる理系と呼ばれる人たちは、
自分の専門以外の知識や能力が乏しく、
比較的何でもできて、企業や省官庁でも
高い位にいる文系をうらやましく感じているような気がする
ちなみに、両者のニーズのぶつけどころになっているのが
うちの学科で、文科系から理転進学する人もいれば
文転したかったけどし損ねた人もいる
そういう僕も、高専時代は
何でもできる人に憧れた
5年間もソフトウェア開発を専門として学び、
就職率も高いにも関わらず
大学進学をしようと思ったのは
専門性を高めたいというよりはむしろ、
一般教養と広範な能力を身につけ
汎用的な人材になりたいという気持ちのほうが強かった
今でこそ、
エンジニアとしての生き方に価値を見出しているけど
そこにたどり着くまでには、ずいぶん遠回りをしたと思う
#ちなみに、「エンジニアとしての生き方に価値を見出した」と
#いっても、別に“技術バカ”になりたいわけではない
#あくまで理想は「技術と市場の架け橋」
#ようするに、技術寄りのゼネラリスト
文系の人も、理系の人も
“文系だから”“理系だから”を言い訳にしないで
お互いもっと歩み寄ればいいのに
たかだか17歳や18歳のときに
周りから急かされて決めただけの進路でしょう
これからの人生のほうが長いんだよ
と、もっと大きな声で言いたいけど…
“壁”をなくすことって大変なんだな
そんなことを感じた新歓説明会でした
もうひとつ、気になることを言っていたので
続けてになるがご紹介。
続けてネタにしてごめんね > 本人
たぶん読んでないと思うけど
彼は「公認会計士をとりたい」と言ったあとにこう続けた
理系の人は大学で学ぶことが専門性になると思うんですけど
文系だったらそうはいかないじゃないですか
だから、絶対に在学中に資格をとりたいんです
言っている意味はわからなくもないけど
以前もブログに書いた通り、
やっぱり文系・理系という言葉は気になるし、
その両者の間にはやっぱり明確な壁はあるんだなーと感じる
こういう発言は彼からだけでなく
周囲のあちらこちらから聞こえるし
僕としては問題意識を感じざるを得ない
僕から見ると、
法律とか会計は
(別に「弁護士」や「公認会計士」でなかったとしても)
間違いなく専門性だと思うし
政治学でも哲学でも文学でも
その道を極めればそれは専門性だと思う
逆に、僕の知り合いでも
数学ができない工学部生とか
いまだにプログラミングできない高専卒業生とか
たくさんいるし、
本来大学で専門としているはずの分野と
まったく違うフィールドで生きていこうとしている人を
何人も見てきた
まあ、僕の所属する学科が工学系では珍しい
ゼネラリスト養成学科
だからなのかも知れないけどww
高専を卒業するというバリバリの理系コースを歩みながら
工学系の中では珍しい文系寄りの学科に所属し
経済学部や経営学部の多いKINGで活動するという
よくも悪くも文系と理系の間を進んできた僕の経験からすると
両者はお互いにコンプレックスを感じているように思える
いわゆる文系と呼ばれる人たちは、
理系のような専門性を持っていないことを悔しく思い
すごくうらやましく感じているような発言をするし
いわゆる理系と呼ばれる人たちは、
自分の専門以外の知識や能力が乏しく、
比較的何でもできて、企業や省官庁でも
高い位にいる文系をうらやましく感じているような気がする
ちなみに、両者のニーズのぶつけどころになっているのが
うちの学科で、文科系から理転進学する人もいれば
文転したかったけどし損ねた人もいる
そういう僕も、高専時代は
何でもできる人に憧れた
5年間もソフトウェア開発を専門として学び、
就職率も高いにも関わらず
大学進学をしようと思ったのは
専門性を高めたいというよりはむしろ、
一般教養と広範な能力を身につけ
汎用的な人材になりたいという気持ちのほうが強かった
今でこそ、
エンジニアとしての生き方に価値を見出しているけど
そこにたどり着くまでには、ずいぶん遠回りをしたと思う
#ちなみに、「エンジニアとしての生き方に価値を見出した」と
#いっても、別に“技術バカ”になりたいわけではない
#あくまで理想は「技術と市場の架け橋」
#ようするに、技術寄りのゼネラリスト
文系の人も、理系の人も
“文系だから”“理系だから”を言い訳にしないで
お互いもっと歩み寄ればいいのに
たかだか17歳や18歳のときに
周りから急かされて決めただけの進路でしょう
これからの人生のほうが長いんだよ
と、もっと大きな声で言いたいけど…
“壁”をなくすことって大変なんだな
そんなことを感じた新歓説明会でした
2008年4月13日日曜日
長いようで短く、短いようで長い
昨日、昨年までスタッフとして活動していた
KINGの母団体WAAVの新歓説明会に参加してきた
KINGのOBとして
KINGから得られるものやビジネスの醍醐味を
新入生に伝えて欲しいと言われ
パネルディスカッションに参加してきたわけだ
KINGの魅力はたくさんあるけれど
やっぱり最後の最後で所属する団体を選ぶ基準になるのって
その団体にいる人がどれだけ魅力的かってこと
だから、僕は
一般的なKINGのよさとか
ありきたりなフレーズでなく
末並晃という人間が何故KINGに所属し
KINGから何を得て、今どう生かされているか
ということを中心に、あえて個人的な話をたくさんした
パネラーとして一緒にトークしたのは、
KING2007の実行委員長だけど、たぶん彼も一緒
特に強調したのは
工学部所属であること
コンサルタントとか金融とか広告でなく
あくまで技術畑で勝負できる人間になりたいこと
KINGは、技術動向を取り巻くビジネスという
大きなストーリーを体感するための場であったこと
など。
そうすると、トークセッションのあとに
とある新入生が話しかけてくれたので、
本人に無断であるが(プライバシーに触れない程度に)ご紹介。
――――――――――――――――――――――――――――――
その新入生は工学部ではないのだが
何かスペシャリティを持った人間になりたいとのことで
「あくまで技術畑で勝負!」という僕の話に共感してくれたらしい
そんな彼、まだ大学に入学したばかりなのに
非常に意識が高く、公認会計士を目指して勉強したいとのこと
まあ、つまりWAAVでの活動と資格をとるための勉強を
両立できるか不安という相談だったわけだけど
こればかりは人の人生を左右することだし、
一概に返事ができない
ただ、2年弱の間、KINGに所属していた経験でいうと
自分のスペシャリティが何であるかを知り
それにもとづいたキャリアプランなんかを考えるためには
自分の能力や価値観だけでなく
それを取り巻く外的要因(市場動向や国際情勢、
同年代の他学生の能力・価値観など)をも
把握していかないと たぶん困難だと思う。
大学の4年間って、結局そのための試行錯誤期間だと思うし
19歳のときに決めた道をまっすぐに進むことができるのって
よほどしっかりした18年間をおくってきた天才大学生か
よほどのバカのどっちかだと思うんだよな…
どうせ試行錯誤するんなら、
多種多様な人が集まっているWAAVは最適な環境だと思うし、
僕自身は、遠回りしたけど自分の在り方見つけた気がする
ちょうど大学に入った頃って
たった4年しかない大学生活、有効な過ごし方をしたい
と思いがちだけど、実は大学の4年間って
試行錯誤してもなお たくさんのことを学べるくらい長い時間なんだよね
そう考えると、WAAVで1年半過ごすことは
間違いなく有効な過ごし方だと思う
最後はWAAVの宣伝みたいになっちゃったけど
WAAVの企画に入るにしろ入らないにしろ
わざわざ僕のところに相談に来てくれた彼には
いい4年間をおくって欲しいなと切に願います
KINGの母団体WAAVの新歓説明会に参加してきた
KINGのOBとして
KINGから得られるものやビジネスの醍醐味を
新入生に伝えて欲しいと言われ
パネルディスカッションに参加してきたわけだ
KINGの魅力はたくさんあるけれど
やっぱり最後の最後で所属する団体を選ぶ基準になるのって
その団体にいる人がどれだけ魅力的かってこと
だから、僕は
一般的なKINGのよさとか
ありきたりなフレーズでなく
末並晃という人間が何故KINGに所属し
KINGから何を得て、今どう生かされているか
ということを中心に、あえて個人的な話をたくさんした
パネラーとして一緒にトークしたのは、
KING2007の実行委員長だけど、たぶん彼も一緒
特に強調したのは
工学部所属であること
コンサルタントとか金融とか広告でなく
あくまで技術畑で勝負できる人間になりたいこと
KINGは、技術動向を取り巻くビジネスという
大きなストーリーを体感するための場であったこと
など。
そうすると、トークセッションのあとに
とある新入生が話しかけてくれたので、
本人に無断であるが(プライバシーに触れない程度に)ご紹介。
――――――――――――――――――――――――――――――
その新入生は工学部ではないのだが
何かスペシャリティを持った人間になりたいとのことで
「あくまで技術畑で勝負!」という僕の話に共感してくれたらしい
そんな彼、まだ大学に入学したばかりなのに
非常に意識が高く、公認会計士を目指して勉強したいとのこと
まあ、つまりWAAVでの活動と資格をとるための勉強を
両立できるか不安という相談だったわけだけど
こればかりは人の人生を左右することだし、
一概に返事ができない
ただ、2年弱の間、KINGに所属していた経験でいうと
自分のスペシャリティが何であるかを知り
それにもとづいたキャリアプランなんかを考えるためには
自分の能力や価値観だけでなく
それを取り巻く外的要因(市場動向や国際情勢、
同年代の他学生の能力・価値観など)をも
把握していかないと たぶん困難だと思う。
大学の4年間って、結局そのための試行錯誤期間だと思うし
19歳のときに決めた道をまっすぐに進むことができるのって
よほどしっかりした18年間をおくってきた天才大学生か
よほどのバカのどっちかだと思うんだよな…
どうせ試行錯誤するんなら、
多種多様な人が集まっているWAAVは最適な環境だと思うし、
僕自身は、遠回りしたけど自分の在り方見つけた気がする
ちょうど大学に入った頃って
たった4年しかない大学生活、有効な過ごし方をしたい
と思いがちだけど、実は大学の4年間って
試行錯誤してもなお たくさんのことを学べるくらい長い時間なんだよね
そう考えると、WAAVで1年半過ごすことは
間違いなく有効な過ごし方だと思う
最後はWAAVの宣伝みたいになっちゃったけど
WAAVの企画に入るにしろ入らないにしろ
わざわざ僕のところに相談に来てくれた彼には
いい4年間をおくって欲しいなと切に願います
2008年3月23日日曜日
組織の矛盾
というのを、ここ数ヶ月でよく考えるようになった。
組織とは本来
一人では達成困難なことでも、
複数人で行えば達成することができるから
結成するものである
だが、実際はどうか
2-3人からせいぜい10名弱の組織ならともかく
数十人、数百人となると、組織で活動するオーバヘッドがかかり
逆に動きづらくなったりする
これは日本では
「大企業病」とか
「官僚型組織」と言われて非難される
僕の大学でのゼミの先生は、東京大学の非常勤講師で
本職はとある会社の代表取締役社長
かつては、某外資系企業の
本社(日本支社ではない)副社長まで勤めた人であるが
そんな人でさえ
あの何千人から構成される組織は
私(副社長)でも変えられなかったですよ
と言っていた
そう考えると、大企業とか大きなプロジェクトに
参画する魅力をあまり感じなくなる
「組織」と、それを構成する「人」、その育成過程である「教育」
ここらへんを抜本的に何とかしていかないといけない気がする
#大企業出身で、今、大学の先生をやっている人に話を聞くと
#「矛盾だらけの組織を必要悪だと捉えて、
# それを経験することは重要だよ」と言っていた。
#それくらい割り切れるといいね。
組織とは本来
一人では達成困難なことでも、
複数人で行えば達成することができるから
結成するものである
だが、実際はどうか
2-3人からせいぜい10名弱の組織ならともかく
数十人、数百人となると、組織で活動するオーバヘッドがかかり
逆に動きづらくなったりする
これは日本では
「大企業病」とか
「官僚型組織」と言われて非難される
僕の大学でのゼミの先生は、東京大学の非常勤講師で
本職はとある会社の代表取締役社長
かつては、某外資系企業の
本社(日本支社ではない)副社長まで勤めた人であるが
そんな人でさえ
あの何千人から構成される組織は
私(副社長)でも変えられなかったですよ
と言っていた
そう考えると、大企業とか大きなプロジェクトに
参画する魅力をあまり感じなくなる
「組織」と、それを構成する「人」、その育成過程である「教育」
ここらへんを抜本的に何とかしていかないといけない気がする
#大企業出身で、今、大学の先生をやっている人に話を聞くと
#「矛盾だらけの組織を必要悪だと捉えて、
# それを経験することは重要だよ」と言っていた。
#それくらい割り切れるといいね。
2008年3月20日木曜日
マネージャーの資質
このブログの読者はみんな知っていると思うが、
僕は以前KINGというビジネスコンテストを主催する団体に所属していた。
htttp://www.waav.org/king/
そのときに担当は、外務統括責任者というもので
実行委員長の下にいるNo.2的な立場
主な業務内容は、協賛企業への営業や学生へのマーケティング・集客、ドキュメントの管理やチェックなどで、KINGが外部と触れる部分をすべて監督するのが職責
俗にいう「マネージャー」という立場にあたると思うんだけど
自分でいろいろな作業をやっていたことも事実で、
世間一般で言われるマネージャーとしての務めを満足できたかといえば、それは微妙
#というか、たぶんできていない
istは立ち上がったばかりで、マネージャーもプレイヤーもないけど、今後社員が増えてくると、創業メンバーとしてマネージメントに徹しなければならないことがくるかも知れない
それを考えると、不安で、心配で、自分にそれが務まるか疑問になったりする
マネージャーの資質というものが定義できたとすると、それは何なんだろう?誰が知っているんだろう?
現在、模索中です。助けて下さい。
-----
まあ、KINGは構成スタッフが多様だし、マネージメントしにくい組織であることは事実
当面はそれを言い訳にしよう。僕のせいじゃない。笑
それにistは優秀なマネージメント層がもう2人いるし、大丈夫でしょう。うん。
僕は以前KINGというビジネスコンテストを主催する団体に所属していた。
htttp://www.waav.org/king/
そのときに担当は、外務統括責任者というもので
実行委員長の下にいるNo.2的な立場
主な業務内容は、協賛企業への営業や学生へのマーケティング・集客、ドキュメントの管理やチェックなどで、KINGが外部と触れる部分をすべて監督するのが職責
俗にいう「マネージャー」という立場にあたると思うんだけど
自分でいろいろな作業をやっていたことも事実で、
世間一般で言われるマネージャーとしての務めを満足できたかといえば、それは微妙
#というか、たぶんできていない
istは立ち上がったばかりで、マネージャーもプレイヤーもないけど、今後社員が増えてくると、創業メンバーとしてマネージメントに徹しなければならないことがくるかも知れない
それを考えると、不安で、心配で、自分にそれが務まるか疑問になったりする
マネージャーの資質というものが定義できたとすると、それは何なんだろう?誰が知っているんだろう?
現在、模索中です。助けて下さい。
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まあ、KINGは構成スタッフが多様だし、マネージメントしにくい組織であることは事実
当面はそれを言い訳にしよう。僕のせいじゃない。笑
それにistは優秀なマネージメント層がもう2人いるし、大丈夫でしょう。うん。
2008年3月19日水曜日
f(x)の創造とxの代入
サイボウズという会社がある。http://cybozu.co.jp/
istも一緒にお仕事させていただいており、お世話になっている会社なのだが
僕は、その創業メンバーのひとりで元代表取締役社長の高須賀宣氏に
一度だけお会いしたことがある
そのときにお話していただいたことをちょっと紹介。
f(x)を創ることとxを代入することはまったく違う行為である
つまり、何もない状態から新しいものを生み出せることと
それをビジネスとして実現させたり、成長させることは違うということ
高須賀氏はf(x)を創ることを「起業」、xを代入することを「経営」と言っていたけど
たぶん、これは
「リーダー」と「マネージャー」でも
「経営者」 と「技術者」 でも
同じことが言えると思う
広告業界だったら、メディアを創ることと枠を売ることに相当するし
ネット業界だったら、インフラ事業とサービス事業に相当するし
テクノロジー企業ならば、基礎技術とその応用に相当する
ラリーページとセルゲイ・ブリンはページランクというアルゴリズムとそれを実装した検索エンジンを開発し、f(x)を創造した
エリック・シュミット博士は、単語に値段をつけてオークションを行うというモデルを提案し、f(x)を最大化するxを代入することに成功した
amazon.comはCGM企業の先駆者として、アフィリエイトというf(x)を創造し
世の中にいるたくさんの開発者や個人ブロガーまでもが、そのf(x)の上でサービスを
展開しており、よりよいxを探し求めている
ビジネスで常に意識しておかなければいけないのはTBCという3つのモデル
T: Technology model … 技術的にどうやって実現するか
B: Business model … 消費者が得た効用をどうやってをキャッシュに変換するか
C: Customer model … そもそも消費者にとっての価値は何か
ここで気にしなければいけないので、TBCのどの視点でf(x)を創ったか、
そして、どの視点でxを代入すればいいか
Technology Modelが効いてくるのはf(x)なのか、それを最大化するためのxなのか
Googleの例では、f(x)がページランクアルゴリズムというTechnology Modelの結晶
だけど、f(x)自体は普通だけど、よりよいxを代入するためにTechnologyを必要とする例もある
だけど、やっぱり個人的には
圧倒的な技術力をもって、もっと素敵なf(x)を創れるようになりたいなー
だからGoogle好きなんだよね。
[参考]
http://blog.goo.ne.jp/ttakasuka/e/64a658463a3bb2a49dc50fd356c1e179
istも一緒にお仕事させていただいており、お世話になっている会社なのだが
僕は、その創業メンバーのひとりで元代表取締役社長の高須賀宣氏に
一度だけお会いしたことがある
そのときにお話していただいたことをちょっと紹介。
f(x)を創ることとxを代入することはまったく違う行為である
つまり、何もない状態から新しいものを生み出せることと
それをビジネスとして実現させたり、成長させることは違うということ
高須賀氏はf(x)を創ることを「起業」、xを代入することを「経営」と言っていたけど
たぶん、これは
「リーダー」と「マネージャー」でも
「経営者」 と「技術者」 でも
同じことが言えると思う
広告業界だったら、メディアを創ることと枠を売ることに相当するし
ネット業界だったら、インフラ事業とサービス事業に相当するし
テクノロジー企業ならば、基礎技術とその応用に相当する
ラリーページとセルゲイ・ブリンはページランクというアルゴリズムとそれを実装した検索エンジンを開発し、f(x)を創造した
エリック・シュミット博士は、単語に値段をつけてオークションを行うというモデルを提案し、f(x)を最大化するxを代入することに成功した
amazon.comはCGM企業の先駆者として、アフィリエイトというf(x)を創造し
世の中にいるたくさんの開発者や個人ブロガーまでもが、そのf(x)の上でサービスを
展開しており、よりよいxを探し求めている
ビジネスで常に意識しておかなければいけないのはTBCという3つのモデル
T: Technology model … 技術的にどうやって実現するか
B: Business model … 消費者が得た効用をどうやってをキャッシュに変換するか
C: Customer model … そもそも消費者にとっての価値は何か
ここで気にしなければいけないので、TBCのどの視点でf(x)を創ったか、
そして、どの視点でxを代入すればいいか
Technology Modelが効いてくるのはf(x)なのか、それを最大化するためのxなのか
Googleの例では、f(x)がページランクアルゴリズムというTechnology Modelの結晶
だけど、f(x)自体は普通だけど、よりよいxを代入するためにTechnologyを必要とする例もある
だけど、やっぱり個人的には
圧倒的な技術力をもって、もっと素敵なf(x)を創れるようになりたいなー
だからGoogle好きなんだよね。
[参考]
http://blog.goo.ne.jp/ttakasuka/e/64a658463a3bb2a49dc50fd356c1e179
2008年3月18日火曜日
テクノロジーベンチャーセミナー
先日、知人の紹介でこういうセミナーに参加してきた。
http://www.itinfox.com/spro/q4inc/hvs0315/index.php
学生起業家からベンチャーの雄ともいえる企業の社長まで
多くの人が参加しているセミナーだった
年齢層としては、20代が3割、30代が2割、40代が4割、それ以上が2割といったところ
職種的には、エンジニアばかりかと思いきや、意外にマーケティングや営業の人もいた
いろいろな人が来ていたし、4人もの人にご講演いただいたけど
セミナー全体の趣旨をすごく大雑把に要約すると
技術だけじゃビジネスはうまくいかないよ
ってこと。
ビジネスを専門に学んでいる人や、実際に経営に携わっている人からすれば当たり前のことだし、
僕もマーケティングやセールスの重要性は“普通の”エンジニアよりはわかってるつもり
だけど、それでも「技術のコモディティ化」とか「技術は経営リソースのひとつ」とか
言われると、どうしようもなく切ない気持ちになる
製品のライフサイクルが短くなって、最新の技術がコモディティ化するのが早くなって
経営者の視点に立てば、ビジネスチャンスが増えているんだろうけど、
逆に技術者の視点に立てば、活躍の場がどんどん減り、アイデンティティを確立しにくくなってる
技術者がもっとビジネスの世界で活躍できるスキームはつくれないものか
Googleやはてなを再現的に生むことはできないものか
エンジニアリングマインドを持ったビジネスパーソンとなって
そういうスキームをいつか確立できたらいいなと思う
http://www.itinfox.com/spro/q4inc/hvs0315/index.php
学生起業家からベンチャーの雄ともいえる企業の社長まで
多くの人が参加しているセミナーだった
年齢層としては、20代が3割、30代が2割、40代が4割、それ以上が2割といったところ
職種的には、エンジニアばかりかと思いきや、意外にマーケティングや営業の人もいた
いろいろな人が来ていたし、4人もの人にご講演いただいたけど
セミナー全体の趣旨をすごく大雑把に要約すると
技術だけじゃビジネスはうまくいかないよ
ってこと。
ビジネスを専門に学んでいる人や、実際に経営に携わっている人からすれば当たり前のことだし、
僕もマーケティングやセールスの重要性は“普通の”エンジニアよりはわかってるつもり
だけど、それでも「技術のコモディティ化」とか「技術は経営リソースのひとつ」とか
言われると、どうしようもなく切ない気持ちになる
製品のライフサイクルが短くなって、最新の技術がコモディティ化するのが早くなって
経営者の視点に立てば、ビジネスチャンスが増えているんだろうけど、
逆に技術者の視点に立てば、活躍の場がどんどん減り、アイデンティティを確立しにくくなってる
技術者がもっとビジネスの世界で活躍できるスキームはつくれないものか
Googleやはてなを再現的に生むことはできないものか
エンジニアリングマインドを持ったビジネスパーソンとなって
そういうスキームをいつか確立できたらいいなと思う
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