2008年3月22日土曜日

ビジネスの醍醐味

一日、日記を休んでしまいました。すみません。
ちょっと忙しくて書けなかったんですが、何日も休んでいたら
読者に逃げられてしまいそうなので、今日はがんばります。

さて、前回に続き、KINGの話題からです。
一昨日、現役のKING実行委員会の
中間報告会に行ってきました。
中間報告会というのは、現在コンテストに向けて活動している委員が
過去のコンテストで活躍したOB/OGに対して、進捗を報告する催し
現役にとっても、OB/OGにとっても、非常に意義深い会です。

そこで、現役が強く主張していたのがタイトルにある
ビジネスの醍醐味
今年度のコンテストでは、ビジネスに漠然とした興味を持っている学生に対して
その醍醐味を知ってもらい、“もっと”と思わせることがゴールであるとのこと。

このビジョン自体は非常にすばらしいし、KING2006-07の活動を通して、
ビジネスの醍醐味を知った(少なくとも自分ではそう思っている)僕としては
ぜひともがんばって欲しいと思う

では、ビジネスの醍醐味とは何だろう?
このゴールを目指すにあたって、一番の肝はその定義だ。
もちろん人によって違うのだが、KING2008がどう定義するかは
彼ら自身に任せるとして、僕自身にとっての“ビジネスの醍醐味”を考えてみよう



さて、読者のほとんどは知っていると思うが、僕は工学部の学生である。
ビジネスパーソンである前に、エンジニアである。

そんな僕にとっては

誰かが一生懸命に開発した技術が、具体的にどうやって消費者のもとへ届き
どんな価値を生み、どうやってキャッシュに変換されるのか

というところに興味がある。

逆に

世の中の消費者が何を求め、企業がそれをどのように汲み取って解釈し、
具体的にどのような技術を生んでいくのか

というところも興味の対象である。

一言でいえば、ニーズとシーズがぶつかる場所
そこがビジネスの一番うまみのある部分じゃないかなーと思う
#ニーズが先か、シーズが先かは本質的な問題ではない
#業界や、社会の動向や、企業の文化によって違うのだから
#比較する意味があまりない
#GoogleとYahooを比べるようなものだしね。



それから、もうひとつ
僕が専門とするソフトウェア開発とビジネスプランの策定・実施は
似ているなーと思うことがある。

それは、学問としての知識と現場での知識が著しく乖離していること
#もちろん、多くの学問において成り立つのだろうけど。。。

ソフトウェア開発に携わりたいと思う学生が大学で学ぶことは
情報数学、論理学、アルゴリズム論、ソフトウェア工学、データベース設計
プロジェクトマネージメント、プログラミング言語
など。

ビジネスにおいて活躍したいと考える人(特に企業戦略に携わる人)は
マーケティング、アカウンティング、企業戦略論、ロジカルシンキング
フレームワーク、金融学、組織論、チームビルディング・グループワーク(?)
などについて(たぶん)学ぶ。

だけど、実際の開発では、予期しないバグが連発したり、ひたすら可読性の低い
ソースコードになったり、メンテナンスが大変だったり、企業ごとに利用しているライブラリが違ったりして
多くの場合、教科書で学んだことに裏切られたり、ほとんど用いられなかったりする

実際のビジネスでも、立案した戦略をオペレーションにブレイクダウンする段階で予想しなかった困難が生じたり、突然不測の出費が生じたり、想定したターゲット層以外にウケたり、資金調達に苦しんだりして
戦略と業務が乖離する例はいくらでもある

そういう「学んだことがそのまま生かされない理不尽さ」
「学問のように単純に答えが出せないもどかしさ」こそが
システムを開発すること、ビジネスを実践することの魅力だと思う

別に僕は「現場主義であるべきだ」と言っているわけではない
学問としてのソフトウェア設計学にも、学問としての経営学にも
存在する意味があるからこそ多くの大学で教えているわけだし、
現場の人間の経験と感覚でしか前に進んでいかないビジネスなんてそれこそおもしろみも何もない

僕自身、情報理論やアルゴリズム論の講義を聞くのは好きだし、
ポジショニングマトリックス書いたり、MBA関連書籍を読むのも好き

だけど、それだけではない。
体系化された知識が前提としてありながらも
そこに各々の思想や文化や流儀を盛り込む余地があるからこそ
自分のアイデンティティーを確立することができるし、
自分がそのシステムに、そのビジネスに関わる意味がある。

アカデミックな知識とプラクティカルな知識
その2つは車の両輪のような関係だと僕は思っている
し、
そういうところに、大学在学中に起業することの意味があると思っている

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