2008年8月27日水曜日

プログラミング能力をつけるための高速道路の話 その2

昨日の続き。
前回の「(1) “サイエンスとしてプログラミング”と“ビジネスとしてプログラミング”の乖離」より、こっちのほうが数としては多い。

(2) PGは冷遇、PMは優遇という葛藤
前回は、コンピュータサイエンスをしっかり学んだ学生が現場で日々遂行される業務に興味を持てず、プログラマとしての道をあきらめる例を示した。しかし、そうではなく、単なるコーディングでもテストでもデバッグでも、とにかくプログラムに触れる仕事がしたいという人も相当数いる。アカデミックな意味でITを学ばずにプログラマになる人(田村さんの言葉を借りれば、まさに“文系プログラマ”)はほとんどがそうではないだろうか。
そんな人がプログラマをあきらめる理由は、プログラマの給与・待遇の低さと社会的イメージの悪さである。絶対数としては、おそらく「情報理論を生かせる職を見つけられなかった」人よりもこちらのほうが多い。

何故そんなイメージが根付いてしまっているのか、ブログのコメントやはてブコメントなども参考にしながら考察してみる。
コメントの中にもあるが、やはり気になるのは「プログラマを扱える経営者が少ない」「プログラマでマネージメントをやりたがる人が少ない」そして「プログラマの能力はピンキリである」ということ。
企業経営において情報システムの重要性が大きくなった昨今でも、多くの日本の経営者にとってはその部分がブラックボックスになっていることが多く、どれだけの投資でどれだけの価値を回収できるのかを判断することができない。その上、マネージメントをやりたがるプログラマが少ないので、IT投資(もちろん、プログラマの人件費を含む)の判断をできる人材が育たず、正当にプログラマが評価されない。
だいたいプログラマやSEの単価は1人月(1人が1ヶ月働いた場合)で80万~120万円程度である。低価格をウリにしている学生ベンチャーとかでもせいぜい50万円くらいだろう。それにも関わらず、プログラマの能力による生産性の格差というのは非常に大きい。人月単価の差は学生プログラマと大手ソフトウェアベンダー社員でも2倍ちょっとだが、生産性はおそらく10倍以上違う。これが現状。
給料を払う経営者側から見れば、超スーパープログラマでも雑魚プログラマでも単価120万円であり、大きな違いはない。スーパープログラマを評価できるマネージャもいないし、評価の仕組みもない。こういう環境下では、どんなにプログラミングが好きな人であっても、プロジェクトマネージメント能力を身につけて“コードを書く”という行為から逃げたがるのも無理はない気がする。

よく言われる“プログラマ35歳定年説”って、体力的な衰えとかではなく、結局こういう企業体質や社会体質によるところが大きいんだろうな。
 

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