2008年7月26日土曜日

コンピューター?プリンター?

マイクロソフトが製品の表記ルールを変更するらしい。

「コンピュータ」→「コンピューター」に MSが表記ルール変更

より一般的でコンシューマにはわかりやすくなったのだろうけど、
僕からするとどうも違和感があるといわざるを得ない

高専時代にお世話になった某先生のように
「こんなところで2バイトも無駄にするんじゃない!」
と反論したいけど、
高級言語に染まりまくっている今の僕では説得力のある反論はできない。

要は染み付いたドキュメンテーションの癖を修正するのが面倒なんですよね。

追記:
「ブラウザー」っておかしくない?一番違和感ある…
しかも「パラメーター」とかはコーディングの際のコメントにも影響しそうだな…

2008年7月19日土曜日

感情なんて一時的なもの

人間の感情なんて本当に一時的なものだとつくづく思う
一時の気持ちの動きで意思決定しちゃいけないとつくづく思う

そういう意味で
十分な情報量がないと発言できないという僕の性格は好都合かも

2008年7月16日水曜日

知識ゼロ?

知人のブログで紹介されていたエントリ。
ブログの内容自体はプログラマやSEでない人にはわからないだろう。
てか、僕も業務系システムはさっぱりなので、ぶっちゃけよくわからない。

銀行の言語事情

ただ、内容はわからずともコメント欄に注目してもらいたい。

はじめまして、こんばんわ。
今現在就活をしています。
例えばですけど、文系で知識ゼロの私が
ttp://www.future.co.jp/ 
こういった企業に入って、プロジェクトに関わって仕事を
進めていくことは無謀なのでしょうか?
こと採用市場では文系の人で知識なくても、こういった企業に
入社することは可能ですが、その道を究めたりするには数学が
必要だから一定レベルまでにしか至らないだとか、
そういったことはありますでしょうか?

この質問に対する回答の一部を抜粋。

でも、ここ最近これだけインターネットで色々できる時代に「知識ゼロ」と胸を張ってちゃいかんとも思います。
僕も文系出身ですが、知識が0でなかったことが大きなアドバンテージでしたよ。
その会社がどうして例に挙がったかはわかりませんが、コンサル系にいきなり入ろうというのは似非コンサル目指しているわけでなければ止めて置いた方が良いと思います。僕らのためにも。ちゃんと教育が整っているならいいかも知れませんね。

うん、非常に同意してしまった。まったくもってその通り。

> でも、ここ最近これだけインターネットで色々できる時代に「知識ゼロ」と胸を張ってちゃいかんとも思います。

「やる気だけは誰にも負けません」という言葉を発する人はおそらく今でも多いのだろう。でも、これは、やる気だけではどうしようもない、学べる環境がない、だから学べる環境を下さい、という意味に他ならない。
ここで指摘されているように、現在ではよほどクローズドな分野における知識でない限りはインターネット経由である程度手にはいる。それこそ、IT分野で手にはいらない情報なんて軍事関連の通信技術くらいなのではないだろうか?「やる気があるなら結果で示せ」と言わんばかりに情報があふれている。

僕のまわりを見渡す限り、こういう意識をきちんと持っている人はまだ少ない。与えられた情報をたくみに使い、到達するべき既知の結果を目指して、ただただその間のプロセスをつくりあげる。

日本の教育制度に問題があると言えなくもないが、それにしても危機感を覚えざるを得ない。



ちなみにこのエントリを紹介していた知人のブログはこちら
なかなか鋭いこと言ってるので、読んでみて下さい。

2008年7月13日日曜日

暑い

気付けば、もう7月も半ば
暦の上では、立夏をとうに過ぎ、もうそろそろ大暑を迎える

最近、ミクシイやtwitterで
「今日は暑すぎる」
「外に出たくない」
という旨の日記やつぶやきが多かったので、もうそんな時期かと感じてはいたが、先ほど、ついに肌でそれを感じてしまった

#大げさではなく、暑さを感じるような時間帯に、暑さを感じるほどの長時間外に出るのは本当に稀な僕です…

オフィスワークばかりだと世の中に取り残されそうです…泣

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後輩たちが大学生活の多くの時間をかけて創り上げたコンテストの応募締め切りがなんと今日なので、興味がある人はぜひ応募してみて下さい。
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「できないこと」の重要性

システムの開発でも、会社の経営でも、学生団体の運営でも
はたまた一個人のキャリア形成や就職活動においても
「できないこと」を定義することは極めて重要だとつくづく感じる

ヒトはよく、何かの意思決定をするとき
「自分(たち)は何をするべきか・やりたいか」を考える
その結果、あれもやりたい・これもやるべきだ、という混沌に陥って
結局、何がやりたいのかわからなくことは多々ある

だからこそ、「できないこと」「やりたくないこと」をきちんと定義する

システム開発では、“実装しない”機能はあらかじめ排除するべきだし
会社の経営では、“アウトソーシングする”事業やタスク、“参入しない”市場を明確にするべきである
企業よりもリソースが限られている学生団体ならなおのことそうだ
就職活動でも、“やりたくない”仕事をあらかじめ考えておく

これは「できること」を考えるよりはるかに難しい
ある部分を棄てて、狭い分野に特化していくということは
リスクも高くなるし、そう簡単に結論を出せることではない

経験上、頭のいい人ほど、こういう意思決定は苦手なようで
拡張性、多角化、汎用性、ゼネラリスト…など
耳障りのいいフレーズにだまされる

こういう思考は、世の中のことを何も知らなかった小学校や中学校のころのほうができていたな…
もっと素直に「○○はやりたくない」と言えるようになりたいものだ

2008年7月12日土曜日

戦略と業務

思考 よりも 作業
戦略最適化 よりも 業務効率化
コンセプトメイキング よりも コンテンツメイキング
高尚なビジョン よりも 目先のオペレーション

のほうに嗜好が偏っている僕。


だけど、ことシステム開発においては
コーディングやデバッグのフェーズよりも
設計フェーズのほうが楽しい。

不思議だ、、、

追記:
自己レスです。笑
“コーディング”という名の業務を効率化するという意味で、“設計”は業務効率化の一環だということに気付いた。確かに「きれいなコードを書く」ことが目的化する場合もあるけど、それは大学のレポートだったり、論文の執筆など「コード自体がさらされ、評価の対象となる」場合が多く、「コードが実行された結果与えられるサービスが評価の対象となる」ビジネスの場では極めて稀だったりする。
システム開発における“戦略”や“ビジョン”に該当するのは、(マーケティング的な意味での)画面デザインやユーザビリティの設計であって、確かにDBのテーブル設計やクラス図作成に比べるとおもしろくない。笑

2008年7月11日金曜日

コミュニケーションの多様化

学問的な意味でも、社会的な意味でも
学力や賃金の格差、顧客ニーズの多様化などについて
論じられることは多々あるが、
“コミュニケーション”の多様化について触れられることは
思いのほか、少ない

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昨日、LUNARRを日本で展開するためのサポートを
している方とお話をしてきた

LUNARRとは、ドキュメンテーションとコミュニケーションを接近させる
コラボレーションツールであり、新しい情報共有ツールである

詳しくはこちら
会社概要
LUNARR - Wikipedia

僕は一ユーザとして、追加して欲しい機能や導入する際の懸念事項などを
わりと好き勝手にしゃべらしてもらったわけだけど、
何よりも感心させられたのは、LUNARRが“コミュニケーション”というものをゼロから考え、定義しようとしていることである

Web2.0という言葉ももはや使い古されてしまったけど、本当にここ数年で
驚くほどコミュニケーションの形は変わった
そして同時に、その先端に乗っかった人と乗り遅れた人の格差も広がりつつある

ブログ、SNS、RSSリーダ、モバイル、メーリングリスト、グループウェア、ポータルサイト、ソーシャルブックマーク、twitter…
これだけツールやメディアが多様化し、人々の価値観やリテラシの格差も拡大している中で今後市場に出てくるコミュニケーションツールがどういうスタンスをとるのか興味深い

“コミュニケーション格差”
実はこれは学力格差や賃金格差よりも重要な問題なのではないか

2008年7月9日水曜日

多様性のあるコミュニティ

特定の分野における専門性や価値観だけでなく
様々なアイデンティティをもった人たちが一緒になることで
高い成果をあげることができる

昨年、僕たちが企画・運営したKING2007の活動理念であり、
株式会社istの企業理念でもある

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日曜日、中学時代の友人2人と久しぶりに会い、一緒に食事をした
1人は東大のロースクールの学生で、先日のエントリにある中学時代の“あいつ”
もう1人は九州工業大学で都市計画や景観デザインを学んでいる学部4年生

法律と土木とIT
まったくもってリンクしそうにない3つだが、話をしてみるとなかなかおもしろい発見がある
同じ内容の話をしてもそれぞれ見解が違うし、異なる分野同士がどういうところでリンクしているのかということが、こういう場であらためてわかったりする

まさに世の中の縮図

大学に進学してしまうと同じ学部学科の友人とつきあうことが多くなる
サークルや学生団体に所属したとしても、それはある目的のためにコミュニティを形成しているのだから、本質的なビジョン・価値観というのは似ているのが普通である

でも、中学や高校の友人は、そういうのが一切ない、多様なコミュニティだ
このつながりを大事にしよう

2008年7月6日日曜日

怪物親、理系離れ

これはひどい。

数学の定期試験で別解がバツにされるようになった理由


なんでも、数学の別解を認めにゃーという恐るべきファシズムの根は、中学の馬鹿親にあるようなのですにゃ。
「別解を認めると、塾にいっている子が有利だから認めるな」
こんなカスのような言い分が、今の疲弊しきった教育現場で通っちゃったらしい。

こういうことをするから、“理系離れ”が進むんだよ…
しかも、タチの悪いことに、この例ではおそらく学生本人は
自分が“理系離れ”に陥っていることに気付かない

何故か

僕の経験上、数学や物理、化学、それから金融などもそうだが
こういった学問の魅力は、自然界に当然のように存在している事象を数字を使って綺麗に整理できることにある
一度整理できた事象は、次回からどのような切り口で観察しても、一般性を損なうことはない
数式自体は整理した結果出てきたもので、それが目的ではない
“公式”とは、「同じタイプの問題を、より短時間で解決するために必要なもの」でしかない

たとえば、台形の面積を求める問題があるとする
大体、考えつく解法は以下の2パターンだろう

(1) 【(上底+下底)×高さ÷2】という公式を暗記し、そのまま適用する
(2) 対角線を1本引き、2つの三角形の面積を足し合わせる

小学校2、3年の算数でつまづいたという人でない限り、この2つの解法が結果的には同じことをやっているということはわかってくれるだろう
そう、同じだということに気付くことが重要だし、それが数学のおもしろさなのだ

公式を暗記しているだけの人は(1)しかアプローチ方法がないし、
三角形の面積の公式しか知らない人は(2)しかアプローチ方法がない

でも、(1)と(2)が同じだと気付いた人は
問題によってアプローチ方法を選ぶことができる

僕は、数学を苦手と思ったことはないが、
公式を覚えるのは苦手だった
たいていの場合、公式を使わず、
手順をおって解答することが多かった
※さすがに台形の公式くらいは覚えられたがww

しかし、“別解”を禁止されたら、この魅力を感じることはできない
「公式を覚えること」が数学の勉強だと思い込み、それが数学の本質だと感じるようになる
そして、本人は数学が得意と感じるだろうが、無意識的に理系離れが進展するのではないか

怪物親(モンスターペアレント)の横暴は、メディアでもとりあげられているが、これはあまりにもひどすぎる
工学系の学科で数学を学び続けている僕らへの侮辱だとさえ思う

2008年7月5日土曜日

多角化企業

知人に将来の夢とかビジョンとか聞かれると
職業とか業界とかにはあまり触れず
僕はよく

最強のゼネラリスト とか
No.2のNo.1 とか
“0から1を創る”人ではなく、“1を10に伸ばす”人 とか
リーダではなくマネージャ とか
安定感のある参謀 とか

そういう返答をよくする

これはこれで本当だし、嘘をついているつもりはないけど
先日、ふと「本当にそうなのか?」と思うようになった
ただのトラウマなのではないか、と。

僕が小学生のころ、同じ学年に成績のいいコがいた
小学校で勉強することなんて簡単だし、僕だってテストの結果はいつもよかったけど、そのコにだけは何か劣等感のようなものを感じていた。

そのコは私立中学に進学したため、中学は別々になったのだけど
中学にはまた別にめちゃくちゃ成績のいいコがいて、
このコにはかなわないなー、と思い知らされた。

かたや地元の進学校、かたや工業系の高等専門学校に進学し、道を違えたものの、高専でも「サイエンスの世界ではこいつにはかなわない」と実感するような人に出会ってしまった

小学校から高専低学年までは、ゴールキーパーとしてサッカー部に所属していたが、1人しかピッチにたてないポジションであるだけに競争も熾烈で、中高ではついにレギュラーを獲得することはなかった。
足業がまったくダメだったわけでもないので、中学時代はフィールドプレーヤーとして試合に出たが、それでも一番うまかったわけでもないので、いわゆる“司令塔”としてプレイすることはなかった。

私立中学に進学しなかったのは(家庭の事情もあるが)
「あいつと戦うの大変だろうな。」
と思ったからだし

進学高校でなく、高専を選んだのも、
「あんなコと一緒に大学受験受けるのか、勝てないな。大学には行かず就職しよう。」
と思ったからだし、

大学に編入学して、システム創成学科を選んだのも
「サイエンスの世界にはあんな奴がごろごろいるのか。じゃあ、自分は研究者でなく、もっとプラクティカルな世界でがんばろう。」
と思ったからである。

リンクアンドモチベーションの小笹社長が提唱する自分株式会社(アイカンパニー)という考え方に基づくと、
あらゆる市場に参入し、競合と真っ向から戦わず、差別化を図りながら市場を転々とした結果できた超多角化企業
なのかな、という印象を受ける。

こういうところに価値観の根源ってあるんだよね。
自分の過去と価値観の形成を結びつけるのって案外おもしろい。

追記:
タイトルにつられた方、ごめんなさいww

2008年7月4日金曜日

信念が強い = 頑固?

お久しぶりです。末並です。

定義が曖昧でどうとでも解釈できるような言葉を使うことを極端に嫌う僕が、あえて「信念」という言葉を表題に使ってみる。
「信念」というと高尚な響きがするが、「こだわり」とするとどうだろう?

どんな人にも、その人なりの「こだわり」というのはあるだろう。
そんな辞書ひかないと正確な意味もわからないようなカッコイイ言葉を
使わなくても、誰もが少なからず持っているものなのだ。

でも、最近、それってただ「頑固」なだけなのかなー、とも思う。
結構、自分で自分のことを「信念の強い人間」だと思っていた(笑)けど
「頑固者」と形容した瞬間に、なんと小さな人間に感じることか…

自分の感情やモチベーションをコントロールするのって、
意外と難しいことを知った
それも僕の性格が邪魔をしているんだろうけど、
一度ひねくれた性格はなおりそうにない…