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2008年7月16日水曜日

知識ゼロ?

知人のブログで紹介されていたエントリ。
ブログの内容自体はプログラマやSEでない人にはわからないだろう。
てか、僕も業務系システムはさっぱりなので、ぶっちゃけよくわからない。

銀行の言語事情

ただ、内容はわからずともコメント欄に注目してもらいたい。

はじめまして、こんばんわ。
今現在就活をしています。
例えばですけど、文系で知識ゼロの私が
ttp://www.future.co.jp/ 
こういった企業に入って、プロジェクトに関わって仕事を
進めていくことは無謀なのでしょうか?
こと採用市場では文系の人で知識なくても、こういった企業に
入社することは可能ですが、その道を究めたりするには数学が
必要だから一定レベルまでにしか至らないだとか、
そういったことはありますでしょうか?

この質問に対する回答の一部を抜粋。

でも、ここ最近これだけインターネットで色々できる時代に「知識ゼロ」と胸を張ってちゃいかんとも思います。
僕も文系出身ですが、知識が0でなかったことが大きなアドバンテージでしたよ。
その会社がどうして例に挙がったかはわかりませんが、コンサル系にいきなり入ろうというのは似非コンサル目指しているわけでなければ止めて置いた方が良いと思います。僕らのためにも。ちゃんと教育が整っているならいいかも知れませんね。

うん、非常に同意してしまった。まったくもってその通り。

> でも、ここ最近これだけインターネットで色々できる時代に「知識ゼロ」と胸を張ってちゃいかんとも思います。

「やる気だけは誰にも負けません」という言葉を発する人はおそらく今でも多いのだろう。でも、これは、やる気だけではどうしようもない、学べる環境がない、だから学べる環境を下さい、という意味に他ならない。
ここで指摘されているように、現在ではよほどクローズドな分野における知識でない限りはインターネット経由である程度手にはいる。それこそ、IT分野で手にはいらない情報なんて軍事関連の通信技術くらいなのではないだろうか?「やる気があるなら結果で示せ」と言わんばかりに情報があふれている。

僕のまわりを見渡す限り、こういう意識をきちんと持っている人はまだ少ない。与えられた情報をたくみに使い、到達するべき既知の結果を目指して、ただただその間のプロセスをつくりあげる。

日本の教育制度に問題があると言えなくもないが、それにしても危機感を覚えざるを得ない。



ちなみにこのエントリを紹介していた知人のブログはこちら
なかなか鋭いこと言ってるので、読んでみて下さい。

2008年7月9日水曜日

多様性のあるコミュニティ

特定の分野における専門性や価値観だけでなく
様々なアイデンティティをもった人たちが一緒になることで
高い成果をあげることができる

昨年、僕たちが企画・運営したKING2007の活動理念であり、
株式会社istの企業理念でもある

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日曜日、中学時代の友人2人と久しぶりに会い、一緒に食事をした
1人は東大のロースクールの学生で、先日のエントリにある中学時代の“あいつ”
もう1人は九州工業大学で都市計画や景観デザインを学んでいる学部4年生

法律と土木とIT
まったくもってリンクしそうにない3つだが、話をしてみるとなかなかおもしろい発見がある
同じ内容の話をしてもそれぞれ見解が違うし、異なる分野同士がどういうところでリンクしているのかということが、こういう場であらためてわかったりする

まさに世の中の縮図

大学に進学してしまうと同じ学部学科の友人とつきあうことが多くなる
サークルや学生団体に所属したとしても、それはある目的のためにコミュニティを形成しているのだから、本質的なビジョン・価値観というのは似ているのが普通である

でも、中学や高校の友人は、そういうのが一切ない、多様なコミュニティだ
このつながりを大事にしよう

2008年7月6日日曜日

怪物親、理系離れ

これはひどい。

数学の定期試験で別解がバツにされるようになった理由


なんでも、数学の別解を認めにゃーという恐るべきファシズムの根は、中学の馬鹿親にあるようなのですにゃ。
「別解を認めると、塾にいっている子が有利だから認めるな」
こんなカスのような言い分が、今の疲弊しきった教育現場で通っちゃったらしい。

こういうことをするから、“理系離れ”が進むんだよ…
しかも、タチの悪いことに、この例ではおそらく学生本人は
自分が“理系離れ”に陥っていることに気付かない

何故か

僕の経験上、数学や物理、化学、それから金融などもそうだが
こういった学問の魅力は、自然界に当然のように存在している事象を数字を使って綺麗に整理できることにある
一度整理できた事象は、次回からどのような切り口で観察しても、一般性を損なうことはない
数式自体は整理した結果出てきたもので、それが目的ではない
“公式”とは、「同じタイプの問題を、より短時間で解決するために必要なもの」でしかない

たとえば、台形の面積を求める問題があるとする
大体、考えつく解法は以下の2パターンだろう

(1) 【(上底+下底)×高さ÷2】という公式を暗記し、そのまま適用する
(2) 対角線を1本引き、2つの三角形の面積を足し合わせる

小学校2、3年の算数でつまづいたという人でない限り、この2つの解法が結果的には同じことをやっているということはわかってくれるだろう
そう、同じだということに気付くことが重要だし、それが数学のおもしろさなのだ

公式を暗記しているだけの人は(1)しかアプローチ方法がないし、
三角形の面積の公式しか知らない人は(2)しかアプローチ方法がない

でも、(1)と(2)が同じだと気付いた人は
問題によってアプローチ方法を選ぶことができる

僕は、数学を苦手と思ったことはないが、
公式を覚えるのは苦手だった
たいていの場合、公式を使わず、
手順をおって解答することが多かった
※さすがに台形の公式くらいは覚えられたがww

しかし、“別解”を禁止されたら、この魅力を感じることはできない
「公式を覚えること」が数学の勉強だと思い込み、それが数学の本質だと感じるようになる
そして、本人は数学が得意と感じるだろうが、無意識的に理系離れが進展するのではないか

怪物親(モンスターペアレント)の横暴は、メディアでもとりあげられているが、これはあまりにもひどすぎる
工学系の学科で数学を学び続けている僕らへの侮辱だとさえ思う