これまで、Google Bloggerとはてなでブログを書いていましたが、このたび、はてなに一本化することにします。
Google Bloggerはトラックバックが送信できない仕様なので、いろいろ意見を書いても読んで欲しい人に読んでもらえないということと、日本国内でのユーザが少なくてなんか寂しいというのが主な原因です。
これまではてなはシステム開発に関することがメインでしたが、これからはBloggerに書いていた内容なども書いていくので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
↓↓ 開発日記 Technolog-ist (はてな版) ↓↓
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2008年8月30日土曜日
2008年8月27日水曜日
プログラミング能力をつけるための高速道路の話 その2
昨日の続き。
前回の「(1) “サイエンスとしてプログラミング”と“ビジネスとしてプログラミング”の乖離」より、こっちのほうが数としては多い。
(2) PGは冷遇、PMは優遇という葛藤
前回は、コンピュータサイエンスをしっかり学んだ学生が現場で日々遂行される業務に興味を持てず、プログラマとしての道をあきらめる例を示した。しかし、そうではなく、単なるコーディングでもテストでもデバッグでも、とにかくプログラムに触れる仕事がしたいという人も相当数いる。アカデミックな意味でITを学ばずにプログラマになる人(田村さんの言葉を借りれば、まさに“文系プログラマ”)はほとんどがそうではないだろうか。
そんな人がプログラマをあきらめる理由は、プログラマの給与・待遇の低さと社会的イメージの悪さである。絶対数としては、おそらく「情報理論を生かせる職を見つけられなかった」人よりもこちらのほうが多い。
何故そんなイメージが根付いてしまっているのか、ブログのコメントやはてブコメントなども参考にしながら考察してみる。
コメントの中にもあるが、やはり気になるのは「プログラマを扱える経営者が少ない」「プログラマでマネージメントをやりたがる人が少ない」そして「プログラマの能力はピンキリである」ということ。
企業経営において情報システムの重要性が大きくなった昨今でも、多くの日本の経営者にとってはその部分がブラックボックスになっていることが多く、どれだけの投資でどれだけの価値を回収できるのかを判断することができない。その上、マネージメントをやりたがるプログラマが少ないので、IT投資(もちろん、プログラマの人件費を含む)の判断をできる人材が育たず、正当にプログラマが評価されない。
だいたいプログラマやSEの単価は1人月(1人が1ヶ月働いた場合)で80万~120万円程度である。低価格をウリにしている学生ベンチャーとかでもせいぜい50万円くらいだろう。それにも関わらず、プログラマの能力による生産性の格差というのは非常に大きい。人月単価の差は学生プログラマと大手ソフトウェアベンダー社員でも2倍ちょっとだが、生産性はおそらく10倍以上違う。これが現状。
給料を払う経営者側から見れば、超スーパープログラマでも雑魚プログラマでも単価120万円であり、大きな違いはない。スーパープログラマを評価できるマネージャもいないし、評価の仕組みもない。こういう環境下では、どんなにプログラミングが好きな人であっても、プロジェクトマネージメント能力を身につけて“コードを書く”という行為から逃げたがるのも無理はない気がする。
よく言われる“プログラマ35歳定年説”って、体力的な衰えとかではなく、結局こういう企業体質や社会体質によるところが大きいんだろうな。
前回の「(1) “サイエンスとしてプログラミング”と“ビジネスとしてプログラミング”の乖離」より、こっちのほうが数としては多い。
(2) PGは冷遇、PMは優遇という葛藤
前回は、コンピュータサイエンスをしっかり学んだ学生が現場で日々遂行される業務に興味を持てず、プログラマとしての道をあきらめる例を示した。しかし、そうではなく、単なるコーディングでもテストでもデバッグでも、とにかくプログラムに触れる仕事がしたいという人も相当数いる。アカデミックな意味でITを学ばずにプログラマになる人(田村さんの言葉を借りれば、まさに“文系プログラマ”)はほとんどがそうではないだろうか。
そんな人がプログラマをあきらめる理由は、プログラマの給与・待遇の低さと社会的イメージの悪さである。絶対数としては、おそらく「情報理論を生かせる職を見つけられなかった」人よりもこちらのほうが多い。
何故そんなイメージが根付いてしまっているのか、ブログのコメントやはてブコメントなども参考にしながら考察してみる。
コメントの中にもあるが、やはり気になるのは「プログラマを扱える経営者が少ない」「プログラマでマネージメントをやりたがる人が少ない」そして「プログラマの能力はピンキリである」ということ。
企業経営において情報システムの重要性が大きくなった昨今でも、多くの日本の経営者にとってはその部分がブラックボックスになっていることが多く、どれだけの投資でどれだけの価値を回収できるのかを判断することができない。その上、マネージメントをやりたがるプログラマが少ないので、IT投資(もちろん、プログラマの人件費を含む)の判断をできる人材が育たず、正当にプログラマが評価されない。
だいたいプログラマやSEの単価は1人月(1人が1ヶ月働いた場合)で80万~120万円程度である。低価格をウリにしている学生ベンチャーとかでもせいぜい50万円くらいだろう。それにも関わらず、プログラマの能力による生産性の格差というのは非常に大きい。人月単価の差は学生プログラマと大手ソフトウェアベンダー社員でも2倍ちょっとだが、生産性はおそらく10倍以上違う。これが現状。
給料を払う経営者側から見れば、超スーパープログラマでも雑魚プログラマでも単価120万円であり、大きな違いはない。スーパープログラマを評価できるマネージャもいないし、評価の仕組みもない。こういう環境下では、どんなにプログラミングが好きな人であっても、プロジェクトマネージメント能力を身につけて“コードを書く”という行為から逃げたがるのも無理はない気がする。
よく言われる“プログラマ35歳定年説”って、体力的な衰えとかではなく、結局こういう企業体質や社会体質によるところが大きいんだろうな。
2008年8月26日火曜日
プログラミング能力をつけるための高速道路の話
モバキッズの田村取締役が非常に興味深い日記を書いているので、紹介もかねて僕なりの意見を書いてみる。
Google Bloggerはトラックバックを送信できないという謎の仕様、、、黙ってたら田村さんに読んでもらえないので、コメント欄にURL貼っつけときます。>田村さん
プログラミング能力をつけるための高速道路を造りたいという話
まず、このエントリに対して僕ははてなブックマークで以下のようなコメントをした。
高速道路はすでにできつつあると思う。完成していると思っている人もいるだろう。その高速道路が機能していない(ように見える)のは、そこを走っている人が他の学習分野に比べて相対的に少ないからではないか。給与や待遇、社会的地位の低さ、3Kに代表されるイメージの悪さのため、走りたいと思う人が少ないのだ。
だから、僕の意見としては、むしろ高速道路の先をどう魅力的に見せるかだと思う。
高速道路の先は大渋滞かも知れないが、その先にモチベーションをかきたてられる魅力的な何かがあれば高く険しい道でも、けものみちでも走れると思う。大渋滞の先に何も魅力的なものがないからこそ、高速道路にものる気にならない。
なぜ、「高速道路にのる気にならない」のかについては、大きく以下の2点があると思う。あえて、文系プログラマを自称する田村さんの観点でなく、高専出身である僕の経験から考察してみた。
(1) “サイエンスとしてプログラミング”と“ビジネスとしてプログラミング”の乖離
ビジネスの醍醐味でも書いたが、高専や大学で学ぶコンピュータサイエンスの一環としてのプログラミングとビジネスとして行うプログラミングはまったく違う。
コンピュータサイエンスで必ず学ぶバブルソートやクイックソート、二分探索法、スタックやキュー、ヒープなどは実践の場ではまず間違いなくライブラリが用意されていて自分で実装することはないし、ビジネスの場で必要なデバッグの方法やコーディング規約の作成ノウハウ、クラッキング手法とそれに対抗するためのセキュリティ知識などは大学では詳しくは教わらない。
このような両者間のギャップのせいで「プログラマはダメだ、おもしろくない」と感じてその道を選択肢から外す人を数多く見てきた。サイエンスとビジネス、どちらに魅力を感じるかは人によると思うので、どちらかを強くアピールするべきだという話ではない。「大学でもっと実践的なプログラミング手法を教えればプログラマ人口は増えるか?」という問に関する答えは明らかにNOである。
そもそも、世の中で一般的に理系に分類されるコンピュータサイエンス(学校によって名称は違うと思うが、情報工学とか電子情報学など)を専攻しているような学生は、ある程度以上の数学の素養と、あらゆる事象を論理的に構造化することへの興味を持っているはずである。そういう学生に対して、体系化された情報理論や各種のアルゴリズムなどを教えることは、決して非合理なことではなく、モチベーションを一定に保てるという意味では非常にいいことだと思う。問題はそういう学生が卒業後にその知識を生かせるような職が圧倒的に少ない、ということである。
いや、絶対数が少ないというより、他の仕事内容に埋もれてわかりづらいというほうが正確だろうか。大学で学ぶような理論的な部分は、大抵の場合、その製品やサービスのコア部分であることが多く、簡単に外部の人間が知れるものではない。比較的、情報として入ってきやすいのは、そのコア部分をとりまく日々の保守・運用や膨大な数のデバッグ、コスト算定、プロジェクト管理などである。
これが、1つ目の高速道路にのらない理由。こういうコンピュータサイエンスの理論は好きだが、ビジネスとしてプログラミングをすることをあきらめる人というのは、大学の教授になったり、まったく関係ない職種に転職したりする。
ここまで書いて疲れてしまった。長くなってしまったし、続きは次回に。
Google Bloggerはトラックバックを送信できないという謎の仕様、、、黙ってたら田村さんに読んでもらえないので、コメント欄にURL貼っつけときます。>田村さん
プログラミング能力をつけるための高速道路を造りたいという話
まず、このエントリに対して僕ははてなブックマークで以下のようなコメントをした。
同意。が、日本ではプログラマの地位が相変わらず低いのも事実。高速道路の先(マネージメント階級とはまったく別のエンジニアとしてのキャリア)も用意できたらいいなー。
高速道路はすでにできつつあると思う。完成していると思っている人もいるだろう。その高速道路が機能していない(ように見える)のは、そこを走っている人が他の学習分野に比べて相対的に少ないからではないか。給与や待遇、社会的地位の低さ、3Kに代表されるイメージの悪さのため、走りたいと思う人が少ないのだ。
だから、僕の意見としては、むしろ高速道路の先をどう魅力的に見せるかだと思う。
高速道路の先は大渋滞かも知れないが、その先にモチベーションをかきたてられる魅力的な何かがあれば高く険しい道でも、けものみちでも走れると思う。大渋滞の先に何も魅力的なものがないからこそ、高速道路にものる気にならない。
なぜ、「高速道路にのる気にならない」のかについては、大きく以下の2点があると思う。あえて、文系プログラマを自称する田村さんの観点でなく、高専出身である僕の経験から考察してみた。
(1) “サイエンスとしてプログラミング”と“ビジネスとしてプログラミング”の乖離
ビジネスの醍醐味でも書いたが、高専や大学で学ぶコンピュータサイエンスの一環としてのプログラミングとビジネスとして行うプログラミングはまったく違う。
コンピュータサイエンスで必ず学ぶバブルソートやクイックソート、二分探索法、スタックやキュー、ヒープなどは実践の場ではまず間違いなくライブラリが用意されていて自分で実装することはないし、ビジネスの場で必要なデバッグの方法やコーディング規約の作成ノウハウ、クラッキング手法とそれに対抗するためのセキュリティ知識などは大学では詳しくは教わらない。
このような両者間のギャップのせいで「プログラマはダメだ、おもしろくない」と感じてその道を選択肢から外す人を数多く見てきた。サイエンスとビジネス、どちらに魅力を感じるかは人によると思うので、どちらかを強くアピールするべきだという話ではない。「大学でもっと実践的なプログラミング手法を教えればプログラマ人口は増えるか?」という問に関する答えは明らかにNOである。
そもそも、世の中で一般的に理系に分類されるコンピュータサイエンス(学校によって名称は違うと思うが、情報工学とか電子情報学など)を専攻しているような学生は、ある程度以上の数学の素養と、あらゆる事象を論理的に構造化することへの興味を持っているはずである。そういう学生に対して、体系化された情報理論や各種のアルゴリズムなどを教えることは、決して非合理なことではなく、モチベーションを一定に保てるという意味では非常にいいことだと思う。問題はそういう学生が卒業後にその知識を生かせるような職が圧倒的に少ない、ということである。
いや、絶対数が少ないというより、他の仕事内容に埋もれてわかりづらいというほうが正確だろうか。大学で学ぶような理論的な部分は、大抵の場合、その製品やサービスのコア部分であることが多く、簡単に外部の人間が知れるものではない。比較的、情報として入ってきやすいのは、そのコア部分をとりまく日々の保守・運用や膨大な数のデバッグ、コスト算定、プロジェクト管理などである。
これが、1つ目の高速道路にのらない理由。こういうコンピュータサイエンスの理論は好きだが、ビジネスとしてプログラミングをすることをあきらめる人というのは、大学の教授になったり、まったく関係ない職種に転職したりする。
ここまで書いて疲れてしまった。長くなってしまったし、続きは次回に。
2008年8月24日日曜日
今年もあらたな“夏のドラマ”が生まれる
先日、KINGのミーティングにお邪魔してきた。今年のスタッフにとっては最後の全体ミーティング。
そして、今日、後輩たちが多くの時間を費やし、たくさんの想いを詰め込んだコンテストKING2008が開幕した。
パラダイムシフトでも言及した通り、僕がKINGにおいて掲げた目標は、結構めずらしい価値観に基づいている(らしい)し、自分の世代だけで実現できるものではない。
そういう意味で、直近の後輩たちが主催するKING2008への期待はかなり大きい。
僕たちが渡したバトンを今年どういう受け取り方をし、どういう風に来年へ渡すのか、現時点では皆目見当もつかないが、僕らを含む過去のスタッフたちが築いた歴史と伝統をさらに光り輝かせるような、そんなコンテストにして欲しい
今年の夏も熱くなりそうだ
いったいどんなドラマが生まれるのか、楽しみである
そして、今日、後輩たちが多くの時間を費やし、たくさんの想いを詰め込んだコンテストKING2008が開幕した。
パラダイムシフトでも言及した通り、僕がKINGにおいて掲げた目標は、結構めずらしい価値観に基づいている(らしい)し、自分の世代だけで実現できるものではない。
そういう意味で、直近の後輩たちが主催するKING2008への期待はかなり大きい。
僕たちが渡したバトンを今年どういう受け取り方をし、どういう風に来年へ渡すのか、現時点では皆目見当もつかないが、僕らを含む過去のスタッフたちが築いた歴史と伝統をさらに光り輝かせるような、そんなコンテストにして欲しい
今年の夏も熱くなりそうだ
いったいどんなドラマが生まれるのか、楽しみである
2008年8月20日水曜日
バーベキュー&温泉
先日の日曜、KINGの仲間と一緒にバーベキューをした
あいにくの天気だったけど、僕自身はKING仲間とバーベキューするのははじめてだったから、なかなか新鮮だった。それに、涼しかったしね。笑
みんな、思い思いに近況を話す。
就活のこと、インターンのこと、今の生活、KINGの思い出、現役のKING、、、その他もろもろ。
“多様性”や“コミュニティ”をコンセプトに掲げただけあって、僕らの代のメンバーは能力も性格も価値観もバラバラ。「今、何やってるの?最近どう?」といういたって普通の話でも、回答はみんなそれぞれ違う。
あれから、もう一年経つんだよね、来週からはKING2008が始まるよ、
なんて、感慨深い気持ちになってみたり。
-----
バーベキューのあとは、みんなで近くの大江戸温泉に向かう。
男3人で、サウナと水風呂の交代浴。
今まで10分が限界だと思っていたサウナだけど、水風呂はいった後だと意外にいけるもんだと知った。
しかし、22℃の水風呂に対して、仲間の一人が終始、
「いやー、あの水風呂は温度高すぎやわー、18℃のに入ってみぃー。」
と言っていたのは、今思い出しても笑える。
風呂からあがって、射的をしたり、かき氷食べたり。
仲間の一人が射的でべジータの人形ゲットしたり、「桶盛り氷」というネタ以外の価値は一切ない商品を2人で食べたり、相変わらず話のネタには事欠かないKINGのメンバーだった。
-----
最近、休みらしい休みはなかったから、いい休養になったかな。
次に温泉行ったときは、水風呂が18℃でありますように。
あいにくの天気だったけど、僕自身はKING仲間とバーベキューするのははじめてだったから、なかなか新鮮だった。それに、涼しかったしね。笑
みんな、思い思いに近況を話す。
就活のこと、インターンのこと、今の生活、KINGの思い出、現役のKING、、、その他もろもろ。
“多様性”や“コミュニティ”をコンセプトに掲げただけあって、僕らの代のメンバーは能力も性格も価値観もバラバラ。「今、何やってるの?最近どう?」といういたって普通の話でも、回答はみんなそれぞれ違う。
あれから、もう一年経つんだよね、来週からはKING2008が始まるよ、
なんて、感慨深い気持ちになってみたり。
-----
バーベキューのあとは、みんなで近くの大江戸温泉に向かう。
男3人で、サウナと水風呂の交代浴。
今まで10分が限界だと思っていたサウナだけど、水風呂はいった後だと意外にいけるもんだと知った。
しかし、22℃の水風呂に対して、仲間の一人が終始、
「いやー、あの水風呂は温度高すぎやわー、18℃のに入ってみぃー。」
と言っていたのは、今思い出しても笑える。
風呂からあがって、射的をしたり、かき氷食べたり。
仲間の一人が射的でべジータの人形ゲットしたり、「桶盛り氷」というネタ以外の価値は一切ない商品を2人で食べたり、相変わらず話のネタには事欠かないKINGのメンバーだった。
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最近、休みらしい休みはなかったから、いい休養になったかな。
次に温泉行ったときは、水風呂が18℃でありますように。
2008年8月19日火曜日
起業家仲間との会食
もう一週間くらい前の話になるが、株式会社モバキッズの取締役2名と一緒にご飯を食べに行く機会があった。
モバキッズ西嶋社長のブログで紹介されています。
http://d.hatena.ne.jp/yukanon/20080815/1218753640
※西嶋さんが日記をはてブに移行してからRSS登録を怠っていたので、気づかなかった。。
やはり、僕自身が技術者的な思考なので、システム開発を本業とする人と会うというのはいい気分転換になる。
田村取締役ともプロジェクトマネージメントについて情報交換するものの、結局「難しいですよねー」という結論。
やっぱり大企業での勤務経験がない学生ベンチャーだと、いろいろと模索しながらノウハウを蓄積していくしかないんだと実感。そういう意味で、今後ともこういう機会は大切していきたい。
話変わって、西嶋社長のブログでも紹介されているist対モバキッズのクイズ対決について。
このゲーム、プレイヤーが自らジャンルを選択できるのだけど、「スポーツ」とか「エンターテイメント」とかについてははっきりいって僕は戦力外(笑)
このままではコンシューマと価値観の乖離が生じるのも時間の問題だと思い知るいい機会になった…
それに、慎重で臆病な性格なので、早押しはダメ。このゲーム、意外と自分の性格と知識の効果測定をするのに適しているんじゃないのか…?
ということなので、こちらも返り討ちにするために特訓しよう。
まずは、早押しボタンを押せるように、アクティブな性格への矯正からだ。笑
モバキッズ西嶋社長のブログで紹介されています。
http://d.hatena.ne.jp/yukanon/20080815/1218753640
※西嶋さんが日記をはてブに移行してからRSS登録を怠っていたので、気づかなかった。。
やはり、僕自身が技術者的な思考なので、システム開発を本業とする人と会うというのはいい気分転換になる。
田村取締役ともプロジェクトマネージメントについて情報交換するものの、結局「難しいですよねー」という結論。
やっぱり大企業での勤務経験がない学生ベンチャーだと、いろいろと模索しながらノウハウを蓄積していくしかないんだと実感。そういう意味で、今後ともこういう機会は大切していきたい。
話変わって、西嶋社長のブログでも紹介されているist対モバキッズのクイズ対決について。
このゲーム、プレイヤーが自らジャンルを選択できるのだけど、「スポーツ」とか「エンターテイメント」とかについてははっきりいって僕は戦力外(笑)
このままではコンシューマと価値観の乖離が生じるのも時間の問題だと思い知るいい機会になった…
それに、慎重で臆病な性格なので、早押しはダメ。このゲーム、意外と自分の性格と知識の効果測定をするのに適しているんじゃないのか…?
「ゲームでは負けたけどリアルでは負けないから!」
とさわやか笑顔でその場を後にしたが
本心は悔しくてたまらなかったので、特訓を積み
しばらくしてから再度戦いを申し出るつもりである。
ということなので、こちらも返り討ちにするために特訓しよう。
まずは、早押しボタンを押せるように、アクティブな性格への矯正からだ。笑
2008年8月4日月曜日
言葉の師
最近、周囲が言語崩壊してる。
夕食の際、弊社代表の飯田と話していたときに出てきた話題。
それは例えば、2ch語の日常化だったり、意味のわからない略語だったり。
特定のコミュニティ内でのみ通じる単語や、必要のない英語化もある。
僕自身は、“尊敬”という言葉について考えてみたや文系と理系のようなエントリを書いていることからもわかるように、言葉というものにこだわりがあるし、自分の口から発せられる以上はそれなりの責任とプライドを持っている。
そんな僕なので、言語崩壊していることを忌々しい事態だとは思うものの、自分自身がそれに影響を受けることはないだろうと思っている。
なぜだろう、と考えてみた。
結論は簡単。これまで周りに、言葉を大切にする人が多かったのだ。
高専時代に付き合っていた彼女は、哲学を志していて、近代哲学(デカルトとかカントとかフッサールとかが活躍した頃)についてとても深く勉強していた。特に、デカルトの“我思う、ゆえに我あり”という言葉をとても愛していた(ように感じた)。
高専時代のとある友達は、日本を愛する人で、意味のない英語化をとても嫌っていた。横文字での会話はなんとなくかっこよく感じるし、さも自分が外資系企業で働いているかのような満足感にひたれるが、ただそれだけ。日本人とコミュニケーションするのなら、日本語のほうがわかりやすいに決まっているというのが彼の意見だったのだろう。
それに、彼は大分県の中でもかなり小規模な村の出身だが、地元なまりを恥じたりせず、誇りを持っているようにさえ感じた。上京して1週間もたたないうちに標準語で話すようになった僕とは対極にあるこだわりの持ち主だ。
19歳の頃に参加したインターンシップのメンバーも言葉を大切にする人が多かった。“ウェスト飲み”と称して、西日本のインターン参加者が集結する企画がいくどとなく開催されたが、その夜はたいてい夜を徹しての熱い議論だった。進路、人生、恋愛など内容は多岐にわたるが、共通していることはそこでやりとりされる言葉の重さ。ウェスト飲みが僕を成長させてくれたことは間違いないと思う。
東京に来てから出会った友人にも言葉を大切にする人がいる。その友達とはじめて話したときに言っていたこと、今でも覚えている。
「“おもう”っていう言葉も、漢字で書くと“思う”と“想う”があって意味が違うんだよね。わざわざ違う漢字が存在してるってことは、それには何か意味があるような気がするんだよ。今の僕にはわからないけどね。」
彼らは僕にとって、まさに“言葉の師”だ。
僕自身は、哲学を志しているわけではないし、大分弁に誇りを持っているわけでもないし、横文字ワードも普通に使うけど、こういう人たちと一緒にいる時間が長かったおかげで、僕なりの言葉へのこだわりというのが確立できたように思う。
よい環境にめぐまれたものだ。
夕食の際、弊社代表の飯田と話していたときに出てきた話題。
それは例えば、2ch語の日常化だったり、意味のわからない略語だったり。
特定のコミュニティ内でのみ通じる単語や、必要のない英語化もある。
僕自身は、“尊敬”という言葉について考えてみたや文系と理系のようなエントリを書いていることからもわかるように、言葉というものにこだわりがあるし、自分の口から発せられる以上はそれなりの責任とプライドを持っている。
そんな僕なので、言語崩壊していることを忌々しい事態だとは思うものの、自分自身がそれに影響を受けることはないだろうと思っている。
なぜだろう、と考えてみた。
結論は簡単。これまで周りに、言葉を大切にする人が多かったのだ。
高専時代に付き合っていた彼女は、哲学を志していて、近代哲学(デカルトとかカントとかフッサールとかが活躍した頃)についてとても深く勉強していた。特に、デカルトの“我思う、ゆえに我あり”という言葉をとても愛していた(ように感じた)。
高専時代のとある友達は、日本を愛する人で、意味のない英語化をとても嫌っていた。横文字での会話はなんとなくかっこよく感じるし、さも自分が外資系企業で働いているかのような満足感にひたれるが、ただそれだけ。日本人とコミュニケーションするのなら、日本語のほうがわかりやすいに決まっているというのが彼の意見だったのだろう。
それに、彼は大分県の中でもかなり小規模な村の出身だが、地元なまりを恥じたりせず、誇りを持っているようにさえ感じた。上京して1週間もたたないうちに標準語で話すようになった僕とは対極にあるこだわりの持ち主だ。
19歳の頃に参加したインターンシップのメンバーも言葉を大切にする人が多かった。“ウェスト飲み”と称して、西日本のインターン参加者が集結する企画がいくどとなく開催されたが、その夜はたいてい夜を徹しての熱い議論だった。進路、人生、恋愛など内容は多岐にわたるが、共通していることはそこでやりとりされる言葉の重さ。ウェスト飲みが僕を成長させてくれたことは間違いないと思う。
東京に来てから出会った友人にも言葉を大切にする人がいる。その友達とはじめて話したときに言っていたこと、今でも覚えている。
「“おもう”っていう言葉も、漢字で書くと“思う”と“想う”があって意味が違うんだよね。わざわざ違う漢字が存在してるってことは、それには何か意味があるような気がするんだよ。今の僕にはわからないけどね。」
彼らは僕にとって、まさに“言葉の師”だ。
僕自身は、哲学を志しているわけではないし、大分弁に誇りを持っているわけでもないし、横文字ワードも普通に使うけど、こういう人たちと一緒にいる時間が長かったおかげで、僕なりの言葉へのこだわりというのが確立できたように思う。
よい環境にめぐまれたものだ。
2008年7月26日土曜日
コンピューター?プリンター?
マイクロソフトが製品の表記ルールを変更するらしい。
「コンピュータ」→「コンピューター」に MSが表記ルール変更
より一般的でコンシューマにはわかりやすくなったのだろうけど、
僕からするとどうも違和感があるといわざるを得ない
高専時代にお世話になった某先生のように
「こんなところで2バイトも無駄にするんじゃない!」
と反論したいけど、
高級言語に染まりまくっている今の僕では説得力のある反論はできない。
要は染み付いたドキュメンテーションの癖を修正するのが面倒なんですよね。
追記:
「ブラウザー」っておかしくない?一番違和感ある…
しかも「パラメーター」とかはコーディングの際のコメントにも影響しそうだな…
「コンピュータ」→「コンピューター」に MSが表記ルール変更
より一般的でコンシューマにはわかりやすくなったのだろうけど、
僕からするとどうも違和感があるといわざるを得ない
高専時代にお世話になった某先生のように
「こんなところで2バイトも無駄にするんじゃない!」
と反論したいけど、
高級言語に染まりまくっている今の僕では説得力のある反論はできない。
要は染み付いたドキュメンテーションの癖を修正するのが面倒なんですよね。
追記:
「ブラウザー」っておかしくない?一番違和感ある…
しかも「パラメーター」とかはコーディングの際のコメントにも影響しそうだな…
2008年7月19日土曜日
感情なんて一時的なもの
人間の感情なんて本当に一時的なものだとつくづく思う
一時の気持ちの動きで意思決定しちゃいけないとつくづく思う
そういう意味で
十分な情報量がないと発言できないという僕の性格は好都合かも
一時の気持ちの動きで意思決定しちゃいけないとつくづく思う
そういう意味で
十分な情報量がないと発言できないという僕の性格は好都合かも
2008年7月16日水曜日
知識ゼロ?
知人のブログで紹介されていたエントリ。
ブログの内容自体はプログラマやSEでない人にはわからないだろう。
てか、僕も業務系システムはさっぱりなので、ぶっちゃけよくわからない。
銀行の言語事情
ただ、内容はわからずともコメント欄に注目してもらいたい。
この質問に対する回答の一部を抜粋。
うん、非常に同意してしまった。まったくもってその通り。
> でも、ここ最近これだけインターネットで色々できる時代に「知識ゼロ」と胸を張ってちゃいかんとも思います。
「やる気だけは誰にも負けません」という言葉を発する人はおそらく今でも多いのだろう。でも、これは、やる気だけではどうしようもない、学べる環境がない、だから学べる環境を下さい、という意味に他ならない。
ここで指摘されているように、現在ではよほどクローズドな分野における知識でない限りはインターネット経由である程度手にはいる。それこそ、IT分野で手にはいらない情報なんて軍事関連の通信技術くらいなのではないだろうか?「やる気があるなら結果で示せ」と言わんばかりに情報があふれている。
僕のまわりを見渡す限り、こういう意識をきちんと持っている人はまだ少ない。与えられた情報をたくみに使い、到達するべき既知の結果を目指して、ただただその間のプロセスをつくりあげる。
日本の教育制度に問題があると言えなくもないが、それにしても危機感を覚えざるを得ない。
※
ちなみにこのエントリを紹介していた知人のブログはこちら。
なかなか鋭いこと言ってるので、読んでみて下さい。
ブログの内容自体はプログラマやSEでない人にはわからないだろう。
てか、僕も業務系システムはさっぱりなので、ぶっちゃけよくわからない。
銀行の言語事情
ただ、内容はわからずともコメント欄に注目してもらいたい。
はじめまして、こんばんわ。
今現在就活をしています。
例えばですけど、文系で知識ゼロの私が
ttp://www.future.co.jp/
こういった企業に入って、プロジェクトに関わって仕事を
進めていくことは無謀なのでしょうか?
こと採用市場では文系の人で知識なくても、こういった企業に
入社することは可能ですが、その道を究めたりするには数学が
必要だから一定レベルまでにしか至らないだとか、
そういったことはありますでしょうか?
この質問に対する回答の一部を抜粋。
でも、ここ最近これだけインターネットで色々できる時代に「知識ゼロ」と胸を張ってちゃいかんとも思います。
僕も文系出身ですが、知識が0でなかったことが大きなアドバンテージでしたよ。
その会社がどうして例に挙がったかはわかりませんが、コンサル系にいきなり入ろうというのは似非コンサル目指しているわけでなければ止めて置いた方が良いと思います。僕らのためにも。ちゃんと教育が整っているならいいかも知れませんね。
うん、非常に同意してしまった。まったくもってその通り。
> でも、ここ最近これだけインターネットで色々できる時代に「知識ゼロ」と胸を張ってちゃいかんとも思います。
「やる気だけは誰にも負けません」という言葉を発する人はおそらく今でも多いのだろう。でも、これは、やる気だけではどうしようもない、学べる環境がない、だから学べる環境を下さい、という意味に他ならない。
ここで指摘されているように、現在ではよほどクローズドな分野における知識でない限りはインターネット経由である程度手にはいる。それこそ、IT分野で手にはいらない情報なんて軍事関連の通信技術くらいなのではないだろうか?「やる気があるなら結果で示せ」と言わんばかりに情報があふれている。
僕のまわりを見渡す限り、こういう意識をきちんと持っている人はまだ少ない。与えられた情報をたくみに使い、到達するべき既知の結果を目指して、ただただその間のプロセスをつくりあげる。
日本の教育制度に問題があると言えなくもないが、それにしても危機感を覚えざるを得ない。
※
ちなみにこのエントリを紹介していた知人のブログはこちら。
なかなか鋭いこと言ってるので、読んでみて下さい。
2008年7月13日日曜日
暑い
気付けば、もう7月も半ば
暦の上では、立夏をとうに過ぎ、もうそろそろ大暑を迎える
最近、ミクシイやtwitterで
「今日は暑すぎる」
「外に出たくない」
という旨の日記やつぶやきが多かったので、もうそんな時期かと感じてはいたが、先ほど、ついに肌でそれを感じてしまった
#大げさではなく、暑さを感じるような時間帯に、暑さを感じるほどの長時間外に出るのは本当に稀な僕です…
オフィスワークばかりだと世の中に取り残されそうです…泣
[宣伝]
そうそう、夏といえば「ビジネスコンテストKING」
後輩たちが大学生活の多くの時間をかけて創り上げたコンテストの応募締め切りがなんと今日なので、興味がある人はぜひ応募してみて下さい。
損はしません。たぶん。
↓↓ 詳しくはこちら ↓↓
http://www.king2008.jp/
暦の上では、立夏をとうに過ぎ、もうそろそろ大暑を迎える
最近、ミクシイやtwitterで
「今日は暑すぎる」
「外に出たくない」
という旨の日記やつぶやきが多かったので、もうそんな時期かと感じてはいたが、先ほど、ついに肌でそれを感じてしまった
#大げさではなく、暑さを感じるような時間帯に、暑さを感じるほどの長時間外に出るのは本当に稀な僕です…
オフィスワークばかりだと世の中に取り残されそうです…泣
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「できないこと」の重要性
システムの開発でも、会社の経営でも、学生団体の運営でも
はたまた一個人のキャリア形成や就職活動においても
「できないこと」を定義することは極めて重要だとつくづく感じる
ヒトはよく、何かの意思決定をするとき
「自分(たち)は何をするべきか・やりたいか」を考える
その結果、あれもやりたい・これもやるべきだ、という混沌に陥って
結局、何がやりたいのかわからなくことは多々ある
だからこそ、「できないこと」「やりたくないこと」をきちんと定義する
システム開発では、“実装しない”機能はあらかじめ排除するべきだし
会社の経営では、“アウトソーシングする”事業やタスク、“参入しない”市場を明確にするべきである
企業よりもリソースが限られている学生団体ならなおのことそうだ
就職活動でも、“やりたくない”仕事をあらかじめ考えておく
これは「できること」を考えるよりはるかに難しい
ある部分を棄てて、狭い分野に特化していくということは
リスクも高くなるし、そう簡単に結論を出せることではない
経験上、頭のいい人ほど、こういう意思決定は苦手なようで
拡張性、多角化、汎用性、ゼネラリスト…など
耳障りのいいフレーズにだまされる
こういう思考は、世の中のことを何も知らなかった小学校や中学校のころのほうができていたな…
もっと素直に「○○はやりたくない」と言えるようになりたいものだ
はたまた一個人のキャリア形成や就職活動においても
「できないこと」を定義することは極めて重要だとつくづく感じる
ヒトはよく、何かの意思決定をするとき
「自分(たち)は何をするべきか・やりたいか」を考える
その結果、あれもやりたい・これもやるべきだ、という混沌に陥って
結局、何がやりたいのかわからなくことは多々ある
だからこそ、「できないこと」「やりたくないこと」をきちんと定義する
システム開発では、“実装しない”機能はあらかじめ排除するべきだし
会社の経営では、“アウトソーシングする”事業やタスク、“参入しない”市場を明確にするべきである
企業よりもリソースが限られている学生団体ならなおのことそうだ
就職活動でも、“やりたくない”仕事をあらかじめ考えておく
これは「できること」を考えるよりはるかに難しい
ある部分を棄てて、狭い分野に特化していくということは
リスクも高くなるし、そう簡単に結論を出せることではない
経験上、頭のいい人ほど、こういう意思決定は苦手なようで
拡張性、多角化、汎用性、ゼネラリスト…など
耳障りのいいフレーズにだまされる
こういう思考は、世の中のことを何も知らなかった小学校や中学校のころのほうができていたな…
もっと素直に「○○はやりたくない」と言えるようになりたいものだ
2008年7月12日土曜日
戦略と業務
思考 よりも 作業
戦略最適化 よりも 業務効率化
コンセプトメイキング よりも コンテンツメイキング
高尚なビジョン よりも 目先のオペレーション
のほうに嗜好が偏っている僕。
だけど、ことシステム開発においては
コーディングやデバッグのフェーズよりも
設計フェーズのほうが楽しい。
不思議だ、、、
追記:
自己レスです。笑
“コーディング”という名の業務を効率化するという意味で、“設計”は業務効率化の一環だということに気付いた。確かに「きれいなコードを書く」ことが目的化する場合もあるけど、それは大学のレポートだったり、論文の執筆など「コード自体がさらされ、評価の対象となる」場合が多く、「コードが実行された結果与えられるサービスが評価の対象となる」ビジネスの場では極めて稀だったりする。
システム開発における“戦略”や“ビジョン”に該当するのは、(マーケティング的な意味での)画面デザインやユーザビリティの設計であって、確かにDBのテーブル設計やクラス図作成に比べるとおもしろくない。笑
戦略最適化 よりも 業務効率化
コンセプトメイキング よりも コンテンツメイキング
高尚なビジョン よりも 目先のオペレーション
のほうに嗜好が偏っている僕。
だけど、ことシステム開発においては
コーディングやデバッグのフェーズよりも
設計フェーズのほうが楽しい。
不思議だ、、、
追記:
自己レスです。笑
“コーディング”という名の業務を効率化するという意味で、“設計”は業務効率化の一環だということに気付いた。確かに「きれいなコードを書く」ことが目的化する場合もあるけど、それは大学のレポートだったり、論文の執筆など「コード自体がさらされ、評価の対象となる」場合が多く、「コードが実行された結果与えられるサービスが評価の対象となる」ビジネスの場では極めて稀だったりする。
システム開発における“戦略”や“ビジョン”に該当するのは、(マーケティング的な意味での)画面デザインやユーザビリティの設計であって、確かにDBのテーブル設計やクラス図作成に比べるとおもしろくない。笑
2008年7月11日金曜日
コミュニケーションの多様化
学問的な意味でも、社会的な意味でも
学力や賃金の格差、顧客ニーズの多様化などについて
論じられることは多々あるが、
“コミュニケーション”の多様化について触れられることは
思いのほか、少ない
-----
昨日、LUNARRを日本で展開するためのサポートを
している方とお話をしてきた
LUNARRとは、ドキュメンテーションとコミュニケーションを接近させる
コラボレーションツールであり、新しい情報共有ツールである
詳しくはこちら
会社概要
LUNARR - Wikipedia
僕は一ユーザとして、追加して欲しい機能や導入する際の懸念事項などを
わりと好き勝手にしゃべらしてもらったわけだけど、
何よりも感心させられたのは、LUNARRが“コミュニケーション”というものをゼロから考え、定義しようとしていることである
Web2.0という言葉ももはや使い古されてしまったけど、本当にここ数年で
驚くほどコミュニケーションの形は変わった
そして同時に、その先端に乗っかった人と乗り遅れた人の格差も広がりつつある
ブログ、SNS、RSSリーダ、モバイル、メーリングリスト、グループウェア、ポータルサイト、ソーシャルブックマーク、twitter…
これだけツールやメディアが多様化し、人々の価値観やリテラシの格差も拡大している中で今後市場に出てくるコミュニケーションツールがどういうスタンスをとるのか興味深い
“コミュニケーション格差”
実はこれは学力格差や賃金格差よりも重要な問題なのではないか
学力や賃金の格差、顧客ニーズの多様化などについて
論じられることは多々あるが、
“コミュニケーション”の多様化について触れられることは
思いのほか、少ない
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昨日、LUNARRを日本で展開するためのサポートを
している方とお話をしてきた
LUNARRとは、ドキュメンテーションとコミュニケーションを接近させる
コラボレーションツールであり、新しい情報共有ツールである
詳しくはこちら
会社概要
LUNARR - Wikipedia
僕は一ユーザとして、追加して欲しい機能や導入する際の懸念事項などを
わりと好き勝手にしゃべらしてもらったわけだけど、
何よりも感心させられたのは、LUNARRが“コミュニケーション”というものをゼロから考え、定義しようとしていることである
Web2.0という言葉ももはや使い古されてしまったけど、本当にここ数年で
驚くほどコミュニケーションの形は変わった
そして同時に、その先端に乗っかった人と乗り遅れた人の格差も広がりつつある
ブログ、SNS、RSSリーダ、モバイル、メーリングリスト、グループウェア、ポータルサイト、ソーシャルブックマーク、twitter…
これだけツールやメディアが多様化し、人々の価値観やリテラシの格差も拡大している中で今後市場に出てくるコミュニケーションツールがどういうスタンスをとるのか興味深い
“コミュニケーション格差”
実はこれは学力格差や賃金格差よりも重要な問題なのではないか
2008年7月9日水曜日
多様性のあるコミュニティ
特定の分野における専門性や価値観だけでなく
様々なアイデンティティをもった人たちが一緒になることで
高い成果をあげることができる
昨年、僕たちが企画・運営したKING2007の活動理念であり、
株式会社istの企業理念でもある
-----
日曜日、中学時代の友人2人と久しぶりに会い、一緒に食事をした
1人は東大のロースクールの学生で、先日のエントリにある中学時代の“あいつ”
もう1人は九州工業大学で都市計画や景観デザインを学んでいる学部4年生
法律と土木とIT
まったくもってリンクしそうにない3つだが、話をしてみるとなかなかおもしろい発見がある
同じ内容の話をしてもそれぞれ見解が違うし、異なる分野同士がどういうところでリンクしているのかということが、こういう場であらためてわかったりする
まさに世の中の縮図
大学に進学してしまうと同じ学部学科の友人とつきあうことが多くなる
サークルや学生団体に所属したとしても、それはある目的のためにコミュニティを形成しているのだから、本質的なビジョン・価値観というのは似ているのが普通である
でも、中学や高校の友人は、そういうのが一切ない、多様なコミュニティだ
このつながりを大事にしよう
様々なアイデンティティをもった人たちが一緒になることで
高い成果をあげることができる
昨年、僕たちが企画・運営したKING2007の活動理念であり、
株式会社istの企業理念でもある
-----
日曜日、中学時代の友人2人と久しぶりに会い、一緒に食事をした
1人は東大のロースクールの学生で、先日のエントリにある中学時代の“あいつ”
もう1人は九州工業大学で都市計画や景観デザインを学んでいる学部4年生
法律と土木とIT
まったくもってリンクしそうにない3つだが、話をしてみるとなかなかおもしろい発見がある
同じ内容の話をしてもそれぞれ見解が違うし、異なる分野同士がどういうところでリンクしているのかということが、こういう場であらためてわかったりする
まさに世の中の縮図
大学に進学してしまうと同じ学部学科の友人とつきあうことが多くなる
サークルや学生団体に所属したとしても、それはある目的のためにコミュニティを形成しているのだから、本質的なビジョン・価値観というのは似ているのが普通である
でも、中学や高校の友人は、そういうのが一切ない、多様なコミュニティだ
このつながりを大事にしよう
2008年7月6日日曜日
怪物親、理系離れ
これはひどい。
数学の定期試験で別解がバツにされるようになった理由
こういうことをするから、“理系離れ”が進むんだよ…
しかも、タチの悪いことに、この例ではおそらく学生本人は
自分が“理系離れ”に陥っていることに気付かない
何故か
僕の経験上、数学や物理、化学、それから金融などもそうだが
こういった学問の魅力は、自然界に当然のように存在している事象を数字を使って綺麗に整理できることにある
一度整理できた事象は、次回からどのような切り口で観察しても、一般性を損なうことはない
数式自体は整理した結果出てきたもので、それが目的ではない
“公式”とは、「同じタイプの問題を、より短時間で解決するために必要なもの」でしかない
たとえば、台形の面積を求める問題があるとする
大体、考えつく解法は以下の2パターンだろう
(1) 【(上底+下底)×高さ÷2】という公式を暗記し、そのまま適用する
(2) 対角線を1本引き、2つの三角形の面積を足し合わせる
小学校2、3年の算数でつまづいたという人でない限り、この2つの解法が結果的には同じことをやっているということはわかってくれるだろう
そう、同じだということに気付くことが重要だし、それが数学のおもしろさなのだ
公式を暗記しているだけの人は(1)しかアプローチ方法がないし、
三角形の面積の公式しか知らない人は(2)しかアプローチ方法がない
でも、(1)と(2)が同じだと気付いた人は
問題によってアプローチ方法を選ぶことができる
僕は、数学を苦手と思ったことはないが、
公式を覚えるのは苦手だった
たいていの場合、公式を使わず、
手順をおって解答することが多かった
※さすがに台形の公式くらいは覚えられたがww
しかし、“別解”を禁止されたら、この魅力を感じることはできない
「公式を覚えること」が数学の勉強だと思い込み、それが数学の本質だと感じるようになる
そして、本人は数学が得意と感じるだろうが、無意識的に理系離れが進展するのではないか
怪物親(モンスターペアレント)の横暴は、メディアでもとりあげられているが、これはあまりにもひどすぎる
工学系の学科で数学を学び続けている僕らへの侮辱だとさえ思う
数学の定期試験で別解がバツにされるようになった理由
なんでも、数学の別解を認めにゃーという恐るべきファシズムの根は、中学の馬鹿親にあるようなのですにゃ。
「別解を認めると、塾にいっている子が有利だから認めるな」
こんなカスのような言い分が、今の疲弊しきった教育現場で通っちゃったらしい。
こういうことをするから、“理系離れ”が進むんだよ…
しかも、タチの悪いことに、この例ではおそらく学生本人は
自分が“理系離れ”に陥っていることに気付かない
何故か
僕の経験上、数学や物理、化学、それから金融などもそうだが
こういった学問の魅力は、自然界に当然のように存在している事象を数字を使って綺麗に整理できることにある
一度整理できた事象は、次回からどのような切り口で観察しても、一般性を損なうことはない
数式自体は整理した結果出てきたもので、それが目的ではない
“公式”とは、「同じタイプの問題を、より短時間で解決するために必要なもの」でしかない
たとえば、台形の面積を求める問題があるとする
大体、考えつく解法は以下の2パターンだろう
(1) 【(上底+下底)×高さ÷2】という公式を暗記し、そのまま適用する
(2) 対角線を1本引き、2つの三角形の面積を足し合わせる
小学校2、3年の算数でつまづいたという人でない限り、この2つの解法が結果的には同じことをやっているということはわかってくれるだろう
そう、同じだということに気付くことが重要だし、それが数学のおもしろさなのだ
公式を暗記しているだけの人は(1)しかアプローチ方法がないし、
三角形の面積の公式しか知らない人は(2)しかアプローチ方法がない
でも、(1)と(2)が同じだと気付いた人は
問題によってアプローチ方法を選ぶことができる
僕は、数学を苦手と思ったことはないが、
公式を覚えるのは苦手だった
たいていの場合、公式を使わず、
手順をおって解答することが多かった
※さすがに台形の公式くらいは覚えられたがww
しかし、“別解”を禁止されたら、この魅力を感じることはできない
「公式を覚えること」が数学の勉強だと思い込み、それが数学の本質だと感じるようになる
そして、本人は数学が得意と感じるだろうが、無意識的に理系離れが進展するのではないか
怪物親(モンスターペアレント)の横暴は、メディアでもとりあげられているが、これはあまりにもひどすぎる
工学系の学科で数学を学び続けている僕らへの侮辱だとさえ思う
2008年7月5日土曜日
多角化企業
知人に将来の夢とかビジョンとか聞かれると
職業とか業界とかにはあまり触れず
僕はよく
最強のゼネラリスト とか
No.2のNo.1 とか
“0から1を創る”人ではなく、“1を10に伸ばす”人 とか
リーダではなくマネージャ とか
安定感のある参謀 とか
そういう返答をよくする
これはこれで本当だし、嘘をついているつもりはないけど
先日、ふと「本当にそうなのか?」と思うようになった
ただのトラウマなのではないか、と。
僕が小学生のころ、同じ学年に成績のいいコがいた
小学校で勉強することなんて簡単だし、僕だってテストの結果はいつもよかったけど、そのコにだけは何か劣等感のようなものを感じていた。
そのコは私立中学に進学したため、中学は別々になったのだけど
中学にはまた別にめちゃくちゃ成績のいいコがいて、
このコにはかなわないなー、と思い知らされた。
かたや地元の進学校、かたや工業系の高等専門学校に進学し、道を違えたものの、高専でも「サイエンスの世界ではこいつにはかなわない」と実感するような人に出会ってしまった
小学校から高専低学年までは、ゴールキーパーとしてサッカー部に所属していたが、1人しかピッチにたてないポジションであるだけに競争も熾烈で、中高ではついにレギュラーを獲得することはなかった。
足業がまったくダメだったわけでもないので、中学時代はフィールドプレーヤーとして試合に出たが、それでも一番うまかったわけでもないので、いわゆる“司令塔”としてプレイすることはなかった。
私立中学に進学しなかったのは(家庭の事情もあるが)
「あいつと戦うの大変だろうな。」
と思ったからだし
進学高校でなく、高専を選んだのも、
「あんなコと一緒に大学受験受けるのか、勝てないな。大学には行かず就職しよう。」
と思ったからだし、
大学に編入学して、システム創成学科を選んだのも
「サイエンスの世界にはあんな奴がごろごろいるのか。じゃあ、自分は研究者でなく、もっとプラクティカルな世界でがんばろう。」
と思ったからである。
リンクアンドモチベーションの小笹社長が提唱する自分株式会社(アイカンパニー)という考え方に基づくと、
あらゆる市場に参入し、競合と真っ向から戦わず、差別化を図りながら市場を転々とした結果できた超多角化企業
なのかな、という印象を受ける。
こういうところに価値観の根源ってあるんだよね。
自分の過去と価値観の形成を結びつけるのって案外おもしろい。
追記:
タイトルにつられた方、ごめんなさいww
職業とか業界とかにはあまり触れず
僕はよく
最強のゼネラリスト とか
No.2のNo.1 とか
“0から1を創る”人ではなく、“1を10に伸ばす”人 とか
リーダではなくマネージャ とか
安定感のある参謀 とか
そういう返答をよくする
これはこれで本当だし、嘘をついているつもりはないけど
先日、ふと「本当にそうなのか?」と思うようになった
ただのトラウマなのではないか、と。
僕が小学生のころ、同じ学年に成績のいいコがいた
小学校で勉強することなんて簡単だし、僕だってテストの結果はいつもよかったけど、そのコにだけは何か劣等感のようなものを感じていた。
そのコは私立中学に進学したため、中学は別々になったのだけど
中学にはまた別にめちゃくちゃ成績のいいコがいて、
このコにはかなわないなー、と思い知らされた。
かたや地元の進学校、かたや工業系の高等専門学校に進学し、道を違えたものの、高専でも「サイエンスの世界ではこいつにはかなわない」と実感するような人に出会ってしまった
小学校から高専低学年までは、ゴールキーパーとしてサッカー部に所属していたが、1人しかピッチにたてないポジションであるだけに競争も熾烈で、中高ではついにレギュラーを獲得することはなかった。
足業がまったくダメだったわけでもないので、中学時代はフィールドプレーヤーとして試合に出たが、それでも一番うまかったわけでもないので、いわゆる“司令塔”としてプレイすることはなかった。
私立中学に進学しなかったのは(家庭の事情もあるが)
「あいつと戦うの大変だろうな。」
と思ったからだし
進学高校でなく、高専を選んだのも、
「あんなコと一緒に大学受験受けるのか、勝てないな。大学には行かず就職しよう。」
と思ったからだし、
大学に編入学して、システム創成学科を選んだのも
「サイエンスの世界にはあんな奴がごろごろいるのか。じゃあ、自分は研究者でなく、もっとプラクティカルな世界でがんばろう。」
と思ったからである。
リンクアンドモチベーションの小笹社長が提唱する自分株式会社(アイカンパニー)という考え方に基づくと、
あらゆる市場に参入し、競合と真っ向から戦わず、差別化を図りながら市場を転々とした結果できた超多角化企業
なのかな、という印象を受ける。
こういうところに価値観の根源ってあるんだよね。
自分の過去と価値観の形成を結びつけるのって案外おもしろい。
追記:
タイトルにつられた方、ごめんなさいww
2008年7月4日金曜日
信念が強い = 頑固?
お久しぶりです。末並です。
定義が曖昧でどうとでも解釈できるような言葉を使うことを極端に嫌う僕が、あえて「信念」という言葉を表題に使ってみる。
「信念」というと高尚な響きがするが、「こだわり」とするとどうだろう?
どんな人にも、その人なりの「こだわり」というのはあるだろう。
そんな辞書ひかないと正確な意味もわからないようなカッコイイ言葉を
使わなくても、誰もが少なからず持っているものなのだ。
でも、最近、それってただ「頑固」なだけなのかなー、とも思う。
結構、自分で自分のことを「信念の強い人間」だと思っていた(笑)けど
「頑固者」と形容した瞬間に、なんと小さな人間に感じることか…
自分の感情やモチベーションをコントロールするのって、
意外と難しいことを知った
それも僕の性格が邪魔をしているんだろうけど、
一度ひねくれた性格はなおりそうにない…
定義が曖昧でどうとでも解釈できるような言葉を使うことを極端に嫌う僕が、あえて「信念」という言葉を表題に使ってみる。
「信念」というと高尚な響きがするが、「こだわり」とするとどうだろう?
どんな人にも、その人なりの「こだわり」というのはあるだろう。
そんな辞書ひかないと正確な意味もわからないようなカッコイイ言葉を
使わなくても、誰もが少なからず持っているものなのだ。
でも、最近、それってただ「頑固」なだけなのかなー、とも思う。
結構、自分で自分のことを「信念の強い人間」だと思っていた(笑)けど
「頑固者」と形容した瞬間に、なんと小さな人間に感じることか…
自分の感情やモチベーションをコントロールするのって、
意外と難しいことを知った
それも僕の性格が邪魔をしているんだろうけど、
一度ひねくれた性格はなおりそうにない…
2008年6月13日金曜日
運と実力
小飼弾氏のブログエントリ
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51059326.html
-----
そう。成果というのは、運を引数とする関数の戻り値なのだ。
実力とはモノ(what you have)ではない、機能(what you do)なのだ。
-----
-----
実のところ、運そのものには幸運も悲運もないはずだ。
それが幸なのか悲なのかは、それをどう感じ、どう用いるかが決
まって初めて決まる。この解釈と対処の余地がある限り、実力、
いや自由意志(will)は確かに存在する。ヨットでさえ、風に逆ら
って進むことが出来るのだ。それよりはるかにパラメターが多い
人生ともなれば、工夫の余地はそれこそ一生かけても終らないほ
どあるはずではないか。
-----
確かにそう思う。
ここでいう“運”とはまぐれや希望的観測のことだけを
指すわけではない。
偶発的外部環境とでもいえばいいのだろうか
予測が困難で、本人のコントロール下にない事象すべてを指す。
引用にもある通り、
あなたが信頼する友人と出会えたことも
今、志望大学に合格し、普通に通えていることも
日本という国に生まれてきたこも
すべては“運”という偶然の産物なのだ
実力とは、その偶発的事実をどうコントロールし
どうやって成果につなげるかという“機能”でしかない。
“実力”とは定数でもなく、独立変数でもない。
“運”というパラメータによって決まる関数であり
それ自体は絶対値をもたない。
-----
人は、
自分の出した成果に満足したときは、自分の実力だと言い、
満足のいく成果を出せなかったとき、運のせいにする。
でも、そうじゃない。
自分の成果に満足したとき、“運”に感謝しよう。
どんなチャンスをものにしたのか、誰が助けてくれたのか。
満足のいく成果を出せなかったとき、“実力”に着目しよう。
自分の実力関数はどんな曲線を描くのか、どんな“運”なら生かせたのか。
僕は自分に相応の自信を持っているし、
それなりの成果も出してきたつもりである
でも、これまで巡り合ったたくさんの“運”に感謝している
大分県の片田舎にある公立中学で、のちの親友に出会えたことも
大分高専で生涯の恩師となるだろう人と
生涯のライバルになるだろう人に出会えたことも
IBM Business Collegeで多くのやさしい先輩たちに
かわいがってもらったことも
KINGでたくさんの意義深い経験をしたことも
そして、今、istにいることも
すべて偶然の産物であり、決して僕の実力ではない
これを生かすも殺すも僕次第
実力()をハックしなければいけない
※
高い成果をあげると、より多様な“運”に
巡り合える可能性が高いという意味で
成果が運にフィードバックされるような気がする。
実力()をラプラス変換して、フィードバック制御に当てはめてみると
おもしろいかも。まあ、それはまた後日。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51059326.html
-----
そう。成果というのは、運を引数とする関数の戻り値なのだ。
実力とはモノ(what you have)ではない、機能(what you do)なのだ。
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実のところ、運そのものには幸運も悲運もないはずだ。
それが幸なのか悲なのかは、それをどう感じ、どう用いるかが決
まって初めて決まる。この解釈と対処の余地がある限り、実力、
いや自由意志(will)は確かに存在する。ヨットでさえ、風に逆ら
って進むことが出来るのだ。それよりはるかにパラメターが多い
人生ともなれば、工夫の余地はそれこそ一生かけても終らないほ
どあるはずではないか。
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確かにそう思う。
ここでいう“運”とはまぐれや希望的観測のことだけを
指すわけではない。
偶発的外部環境とでもいえばいいのだろうか
予測が困難で、本人のコントロール下にない事象すべてを指す。
引用にもある通り、
あなたが信頼する友人と出会えたことも
今、志望大学に合格し、普通に通えていることも
日本という国に生まれてきたこも
すべては“運”という偶然の産物なのだ
実力とは、その偶発的事実をどうコントロールし
どうやって成果につなげるかという“機能”でしかない。
“実力”とは定数でもなく、独立変数でもない。
“運”というパラメータによって決まる関数であり
それ自体は絶対値をもたない。
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人は、
自分の出した成果に満足したときは、自分の実力だと言い、
満足のいく成果を出せなかったとき、運のせいにする。
でも、そうじゃない。
自分の成果に満足したとき、“運”に感謝しよう。
どんなチャンスをものにしたのか、誰が助けてくれたのか。
満足のいく成果を出せなかったとき、“実力”に着目しよう。
自分の実力関数はどんな曲線を描くのか、どんな“運”なら生かせたのか。
僕は自分に相応の自信を持っているし、
それなりの成果も出してきたつもりである
でも、これまで巡り合ったたくさんの“運”に感謝している
大分県の片田舎にある公立中学で、のちの親友に出会えたことも
大分高専で生涯の恩師となるだろう人と
生涯のライバルになるだろう人に出会えたことも
IBM Business Collegeで多くのやさしい先輩たちに
かわいがってもらったことも
KINGでたくさんの意義深い経験をしたことも
そして、今、istにいることも
すべて偶然の産物であり、決して僕の実力ではない
これを生かすも殺すも僕次第
実力()をハックしなければいけない
※
高い成果をあげると、より多様な“運”に
巡り合える可能性が高いという意味で
成果が運にフィードバックされるような気がする。
実力()をラプラス変換して、フィードバック制御に当てはめてみると
おもしろいかも。まあ、それはまた後日。
2008年5月31日土曜日
テトリスと経営
最近、高専時代を懐かしむことが多く
ふとしたきっかけで、とある友人の日記をさかのぼってみた
高専時代に切磋琢磨したその友人の日記の中に
こんなおもしろい話があった(勝手に掲載してごめんね > 本人)
-----
1つだけ、ここに書ける面白い話が、俺とすえの思考パターンの違いをテトリスに例えた話。先生曰く
すえ→1段ずつ綺麗に消していく。途中に変な穴ができることはゆるさない。
俺→常に4段消しを狙っていく。多少変な穴が出来ても、長い棒をいれて一気に状況を改善してしまう。
-----
うーん、これ最初に読んだときも納得したけど
あらためて読んでも、非常に的を射た表現だ
高専在学中も、大学に編入学しても、会社を立ち上げてからも
この思考パターンだけはまったく変わってない気がする
もう少し、2段消し・3段消しを覚えて
効率よく仕事こなせるようにならないとね…
-----
会社はじめてから思うのは
経営者ってこれが両方できないといけない、ということ
1段ずつ綺麗に消していくのは
リスクは低いが、大きくあたることはないし
4段消しばかり狙っていると
なかなか長い棒が来なかったりする
多少変な穴ができても、それを覚悟で4段消しを狙うことも必要だし
長い棒が来ない(市場に好機がない)と判断した時点で2段・3段くらい消してしまうという判断も必要
経営って大変だなー
ふとしたきっかけで、とある友人の日記をさかのぼってみた
高専時代に切磋琢磨したその友人の日記の中に
こんなおもしろい話があった(勝手に掲載してごめんね > 本人)
-----
1つだけ、ここに書ける面白い話が、俺とすえの思考パターンの違いをテトリスに例えた話。先生曰く
すえ→1段ずつ綺麗に消していく。途中に変な穴ができることはゆるさない。
俺→常に4段消しを狙っていく。多少変な穴が出来ても、長い棒をいれて一気に状況を改善してしまう。
-----
うーん、これ最初に読んだときも納得したけど
あらためて読んでも、非常に的を射た表現だ
高専在学中も、大学に編入学しても、会社を立ち上げてからも
この思考パターンだけはまったく変わってない気がする
もう少し、2段消し・3段消しを覚えて
効率よく仕事こなせるようにならないとね…
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会社はじめてから思うのは
経営者ってこれが両方できないといけない、ということ
1段ずつ綺麗に消していくのは
リスクは低いが、大きくあたることはないし
4段消しばかり狙っていると
なかなか長い棒が来なかったりする
多少変な穴ができても、それを覚悟で4段消しを狙うことも必要だし
長い棒が来ない(市場に好機がない)と判断した時点で2段・3段くらい消してしまうという判断も必要
経営って大変だなー
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