2008年6月13日金曜日

運と実力

小飼弾氏のブログエントリ
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51059326.html

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そう。成果というのは、運を引数とする関数の戻り値なのだ。
実力とはモノ(what you have)ではない、機能(what you do)なのだ。
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実のところ、運そのものには幸運も悲運もないはずだ。
それが幸なのか悲なのかは、それをどう感じ、どう用いるかが決
まって初めて決まる。この解釈と対処の余地がある限り、実力、
いや自由意志(will)は確かに存在する。ヨットでさえ、風に逆ら
って進むことが出来るのだ。それよりはるかにパラメターが多い
人生ともなれば、工夫の余地はそれこそ一生かけても終らないほ
どあるはずではないか。
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確かにそう思う。
ここでいう“運”とはまぐれや希望的観測のことだけを
指すわけではない。

偶発的外部環境とでもいえばいいのだろうか
予測が困難で、本人のコントロール下にない事象すべてを指す。

引用にもある通り、
あなたが信頼する友人と出会えたことも
今、志望大学に合格し、普通に通えていることも
日本という国に生まれてきたこも
すべては“運”という偶然の産物なのだ

実力とは、その偶発的事実をどうコントロールし
どうやって成果につなげるかという“機能”でしかない。

“実力”とは定数でもなく、独立変数でもない。
“運”というパラメータによって決まる関数であり
それ自体は絶対値をもたない。

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人は、
自分の出した成果に満足したときは、自分の実力だと言い、
満足のいく成果を出せなかったとき、運のせいにする。

でも、そうじゃない。

自分の成果に満足したとき、“運”に感謝しよう。
どんなチャンスをものにしたのか、誰が助けてくれたのか。
満足のいく成果を出せなかったとき、“実力”に着目しよう。
自分の実力関数はどんな曲線を描くのか、どんな“運”なら生かせたのか。

僕は自分に相応の自信を持っているし、
それなりの成果も出してきたつもりである

でも、これまで巡り合ったたくさんの“運”に感謝している
大分県の片田舎にある公立中学で、のちの親友に出会えたことも
大分高専で生涯の恩師となるだろう人と
生涯のライバルになるだろう人に出会えたことも
IBM Business Collegeで多くのやさしい先輩たちに
かわいがってもらったことも
KINGでたくさんの意義深い経験をしたことも
そして、今、istにいることも
すべて偶然の産物であり、決して僕の実力ではない

これを生かすも殺すも僕次第
実力()をハックしなければいけない


高い成果をあげると、より多様な“運”に
巡り合える可能性が高いという意味で
成果が運にフィードバックされるような気がする。
実力()をラプラス変換して、フィードバック制御に当てはめてみると
おもしろいかも。まあ、それはまた後日。